将棋世界1994年11月号、鈴木大介四段(当時)の四段昇段の記「プレッシャーとの戦い」より。
またいつもと同じ夢を見た。決まって、僕が将棋に負ける夢だ。
奨励会の仲間や、もうプロ棋士になった先輩がささやく。「大介は将棋も弱いし、才能がないんだ」と。
そこでいつも夢から覚める。
半年前の三段リーグで、12勝2敗の好成績から、自分でも信じられない4連敗を喫して四段昇段の次点を取ってから、この夢をよく見る様になっていた。
そうした中で始まった今期の三段リーグは、自分の不安とは裏腹に順調に成績を伸ばし、最終日を前に12勝4敗で、残り2局を連勝すれば昇段出来るというところまで来ていた。
そして迎えた三段リーグ最終日。1局目の相手、庄司三段との対局が始まった。
駒を並べる時、胃がキリキリと痛み、手が震えたが、将棋の方は、序盤で少し形勢が良くなり、終盤かなり追い込まれたもののなんとか逃げ切り、勝つ事が出来た。
それから昼休みに入り、あと一局を残すのみとなったが、食事を食べる気にもなれずに、ずっとつらく苦しかった8年間の奨励会時代を思い返し、次はとにかく悔いの残らない様に全力で戦おうと心に決めて、対局室に入った。
今度は1局目と違い、震えはなかった。これが奨励会最後になるはずの、総決算だと思うと、「これだけ奨励会で苦しみ、そして勉強した僕が負ける訳がない」という自信が湧いてきた。
最終局の対高野三段戦は、冷静に手が読め、大熱戦となった。
そして迎えた1図での▲6六桂の勝負手に対する△6九銀が決め手で、▲同玉は△5七桂不成▲7八玉△6六負以下勝ち筋、また本譜の▲8八玉にも△5七桂成以下、なんとか勝つ事が出来た。
勝った瞬間は、四段昇段というより、ほっとした安堵感の方が大きく、「ああ、これで一生、大好きな将棋を指していけるんだな」と思った。
最後に、応援して下さった方々、本当に有難うございました。
これからもよろしくお願いします。
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「半年前の三段リーグで、12勝2敗の好成績から、自分でも信じられない4連敗を喫して四段昇段の次点を取ってから、この夢をよく見る様になっていた」
先崎学九段の『将棋指しの腹のうち』によると、鈴木大介三段(当時)は、この時、千駄ヶ谷の駅まで先輩と一緒に帰り、その間、ずっと泣き通しだったという。
だが、泣く前も立派だった。
将棋世界1994年11月号、小林宏五段(当時)の「奨励会三段リーグ戦」より。
特に鈴木の場合は前期の終盤で4番連続昇段の一番(結果的に)を逃しているのでどうかと思ったが見事だった。前期の最終局終了後、幹事席の入り口で「失礼します」ときちんと一礼して帰った彼の姿を覚えている。これは簡単なことだが、なかなかできないことでもある。そしてそれを見た時、来期もやるんじゃないかと思ったものだ。
(以下略)
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鈴木大介九段の書く文章はいつもユーモアに富んでいるが、さすがにこの四段昇段の記にはそのような雰囲気が見られない。
それほど奨励会が、そして三段リーグが苛酷だったことを実感させられる。
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鈴木大介三段が四段昇段を決めた日の夜、研究会が一緒だった先崎学六段(当時)もお祝いの打ち上げに参加している。
この時の微笑ましいエピソードは、『将棋指しの腹のうち』で読むことができる。
そして、この翌朝、鈴木大介新四段はサッカーの合宿に出発している。