将棋マガジン1994年12月号、羽生善治王座(当時)の第42期王座戦五番勝負第3局〔対 谷川浩司王将〕自戦記「一直線の攻め」より。
9月に入って、急に対局数が増え、1ヵ月間で11局も指しました。
2日制の対局もあったので、月の半分は将棋盤の前に座っていたことになります。
さすがにこれだけの数をこなしたことは今までありません。
今月はその中の10局目、9月27日に行われた王座戦第3局、谷川浩司王将との一戦からです。
王座戦のこれまでの経過を簡単に振り返ると、第1局は矢倉模様から急戦調となり、谷川王将の猛攻をしのいで先勝。第2局は私の向かい飛車に谷川王将の急戦、中盤から苦しい展開が続いたのですが、最後の最後で逆転勝ち。内容的には1勝1敗ですが、スコアではあと1勝で防衛ということになりました。
そして、この第3局となったわけですが、この日は私の誕生日。今さら誕生日と言っても特に感慨はないのですが、何年かたって、この時を思い出すのには便利かもしれません。本局の対局場は山形県上山温泉「葉山館」。私は上山温泉に行くのは今回が初めて。この葉山館でタイトル戦が行われるのは2回目だそうです。山形県というと以前はずいぶん遠いイメージがあったのですが、今は山形新幹線が出来て東京から2時間40分とずいぶんと便利になりました。対局日はあいにく雨が降っていたのですが、窓の外に映る景色は晴れた時よりも美しく感じられました。対局の翌日には上山城や斎藤茂吉記念館を見に行きました。どちらも素晴らしかったです。
(中略)
タイトル戦の場合はあらかじめ先後は決まっているので、作戦は立てやすいのですが、本局は迷わず角換わりを目指しました。
実はこの対極の2日前にもJT将棋日本シリーズで谷川王将と対局していて、その時にこの戦法を指すつもりだったのです。
しかし、その将棋では谷川王将が振り飛車を指したので出来なかったのです。
そこで、本局に角換わりがスライド登板となりました。
角換わりも一時期ほど指されなくなりましたが、依然として人気戦法の一つです。
(中略)
結局、両方とも端歩を受けあって腰掛け銀を目指すことになりました。相腰掛け銀になると一気に2図まで進むことが最近では多いようです。以前はその途中で工夫する指し方も多かったのですが、なかなか、後手が良くなる変化がないのです。
この戦型は戦いが始まると中盤を飛び越えて一気に終盤になるので、結論は出しやすいのです。
その結果、2図が後手の対策としては一番有力ということになったようです。
この形は公式戦で100局ぐらい指されていますが未だに結論は出ていません。それだけ奥が深いとも言えますが、本格的に流行して3年、100局近く実戦が行われても解らないとなると少しむなしいものを感じます。データベースでこの形を調べたら1948年に升田幸三(先)-塚田正夫という実戦譜があり、少し驚きました。
(以下略)
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この一局は羽生善治五冠(当時)が勝って、3勝0敗で王座防衛を果たしている。
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「9月に入って、急に対局数が増え、1ヵ月間で11局も指しました」
「将棋連盟 棋士別成績一覧」のデータによると、11局の内訳は(括弧内は移動日を含めた日数)
- 王位戦七番勝負が2局(6日)
- 王座戦五番勝負が3局(6日)
- 竜王戦挑戦者決定戦が2局(2日)
- JT杯日本シリーズが1局(2日)
- 王将戦挑戦者決定リーグ戦が1局(1日)
- 早指し戦が1局(1日)
- 勝ち抜き戦が1局(1日)
で、戦績はなんと10勝1敗。
移動日を含めた日数は19日、対局で将棋盤の前に座っていたのが13日。
国内出張が6回の週休2日のビジネスマンとほとんど同じ稼働日数。
棋士なのだから、驚きの数字だ。
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「今さら誕生日と言っても特に感慨はないのですが」
この時、羽生五冠の24歳の誕生日。
私の場合は30歳までは自分の誕生日に感慨があったので、当然と言えば当然だが、羽生九段がずっと大人だったということになる。
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「何年かたって、この時を思い出すのには便利かもしれません」
これは自分だけかもしれないが、30歳まで誕生日に感慨を持っていた割には、誕生日に何があったかは意外と覚えていないもの。
誕生日にあったことが思い出しやすい、というのは簡単なようで全くそうではないので、ものすごい才能なのだと思う。
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「データベースでこの形を調べたら1948年に升田幸三(先)-塚田正夫という実戦譜があり、少し驚きました」
2図から▲8八玉△2二玉と入場して、そして▲4五歩から仕掛けるのが木村義雄十四世名人が創案した木村定跡。
ところが、▲8八玉とした瞬間に後手から△6五歩と逆に木村定跡で攻められる順があり、2図の形から先手がどのように進めるかという世界となった。
それが1948年の升田-塚田戦の頃。
そこから回り回って、40年以上の時を経て1994年の対局にも出現しているということになる。
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「一気に2図まで進むことが最近では多いようです。以前はその途中で工夫する指し方も多かったのですが、なかなか、後手が良くなる変化がないのです」
現在の角換わり腰掛け銀は、2図に進むずっと手前で工夫を重ねているという形。
考え方やアプローチは異なるが、やはり歴史が繰り返されている。
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「それだけ奥が深いとも言えますが、本格的に流行して3年、100局近く実戦が行われても解らないとなると少しむなしいものを感じます」
羽生五冠に一瞬でも虚しさを感じさせるほどの角換わり腰掛銀の奥の深さ。
羽生五冠が人類代表となって、将棋の神様に立ち向かっていって、少し苦戦をしているような情景が頭に浮かんでくる。
回り回った2図の形から、この後も更なる変化や定跡が次々と生まれていく。