将棋マガジン1995年9月号、野田敬三四段(当時)の「スポットライト奨励会」より。
森(信)門下で、去る1月17日、阪神大震災の犠牲となった船越隆文2級の追善将棋大会が、6月10日に将棋会館で、奨励会員が全員参加して行われた。
その結果、有段者の部では、野間俊克三段が優勝。級位者の部では、川崎大地4級が優勝した。
あいさつにみえた、ご両親が、いつまでも彼の事を忘れないで、彼の果たせなかった夢をみなさんが果たしてください、と願われた。その後、森(信)師匠も、生きて将棋を指せる事を感謝するように、と言われた。
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震災のあった朝、将棋世界編集長だった大崎善生さんの自宅に森信雄六段(当時)の奥様から、
「地震がありまして。家族は全員無事です。これから船越君の救出に向かいます。このことを主人に使えてください」
との電話があった。森信雄六段は、この日は東京で対局。
奥様と奥様のご両親と山崎隆之二段(当時)が救出に向かったが、駆けつけたときにはアパートの1階部分は壊滅していた。
船越隆文2級(当時)は17歳だった。
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師匠の森信雄六段(当時)の悲嘆は非常に大きかった。
→森信雄六段(当時)「珍しいぐらいええ子でな。だからちょっと心配やなあ」
船越2級を自宅から徒歩2分のアパートへの転居を勧めた経緯もあり、森信雄六段は自分を責め、弟子を取ることをやめようと決めた。
しかし、船越2級のお母さんの「息子のためにも弟子を育ててください」の言葉で、再び森信雄六段は弟子をとるようになる。
この「船越隆文2級追善将棋大会」は、まさにそのようなことを経た頃の開催だったのだと考えられる。
優勝した野間俊克三段(当時)は南口繁一九段門下で、森信雄六段の弟弟子。川崎大地4級(当時)は森信雄六段門下。
ご両親の「いつまでも彼の事を忘れないで、彼の果たせなかった夢をみなさんが果たしてください」、森信雄六段の「生きて将棋を指せる事を感謝するように」が胸にしみ入る。
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森信雄七段は、船越2級の亡くなった1月17日を「一門の日」と決め、船越隆文さんを追悼する日としている。
また『聖の青春』では、森門下の村山聖八段(当時)が、日本将棋連盟などを通して多くの義援金を送ったと書かれている。
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森信雄六段の内弟子だった山崎隆之二段(当時)は、この頃、師匠に怒られ、広島市の実家に戻っている。ここにもドラマがある。
→山崎隆之五段(当時)「よく師匠には迷惑かけたというか、よく自分で学校に電話して休みますと言ってボウリングに行ったりとか……」