将棋マガジン1995年12月号、大野隆さんの「第45期王将リーグ開幕!激闘始まる」より。
「七冠」。この言葉が具体的な話題になり始めたのは、1993年の夏、羽生が王位を奪取して史上3人目の五冠王になった時であった。しかし、その後の羽生は、11月下旬に王将リーグで村山・森内と連敗し挑戦争いから脱落。そして12月には竜王を佐藤に奪われ、四冠に後退した。
だが1994年には、四冠をすべて防衛した上に、6月に名人を奪取、12月には竜王を奪回して史上初の六冠王になった。
そしてこれまでやや相性が悪かった王将リーグでもプレーオフで郷田を下して初の挑戦を決め、「夢の七冠」をかけて谷川に挑んだ。
この七番勝負は、羽生が2勝3敗で迎えた第6局で圧倒的不利な将棋を逆転勝ちし最終第7局に。その最終局は千日手指し直しとなったが、最後は谷川が勝ち防衛。羽生の七冠制覇はならなかった。
だが、その敗戦のショックを感じさせず、羽生はタイトルを次々と防衛。そしてまた竜王戦七番勝負と王将リーグを並行して戦う秋が来たのである。そこで今回は、羽生の戦いを軸に、王将リーグ開幕を取り上げてみる。
リーグ開幕時点での各棋士の成績を見ると、好調者が3人。まず羽生が17勝3敗で9連勝中、丸山が22勝2敗で17連勝中、森内が18勝6敗で9連勝中という成績。他のメンバーは、郷田が17勝10敗、中原が10勝6敗、有吉が6勝10敗、村山5勝8敗となっていた。
その好調者同士である森内-丸山戦が、第45期王将リーグの開幕戦となった。
(中略)
9月26日は1回戦の残り2局が同時に行われた。ここまで村山は羽生に5勝4敗と勝ち越している。特にここ2年で羽生に4連勝しており、羽生が現在最も苦手にしている棋士とも言える。一方、中原-郷田戦はなんと郷田の9勝1敗。圧倒的な差がついている。
ところで、この対局の直前に出た週刊将棋に「初手▲2六歩は先手の勝率が悪い」という記事が載った。それに反発したわけではないだろうが、この日先手の羽生・中原、さらに他棋戦で指していた森内・丸山のいずれも初手▲2六歩だった。
中原-郷田戦は中原が最近先手番で連採しているひねり飛車に。対する郷田も対ひねり飛車では最もよく指されている△3三角型に組んで対抗した。
一方、羽生-村山戦は、羽生が▲1六歩を突かない相掛かり戦から、タテ歩取りにした。「羽生の頭脳8」には、「▲9六歩の前に▲1六歩は突いたほうがいい」とあったが、その後新しい順が発見されたのだろうか。昨年の王将リーグの羽生-村山戦では、村山が「羽生の頭脳」にない手を指して勝ったが、今回は羽生がはずした事になった。羽生がこの戦型を指すのは初めてだが、1992年の第5期竜王戦本戦準決勝で村山に勝った時も別の形のタテ歩取りになっている。
先に終わったのは中原-郷田戦。中原の指し回しが冴え、中盤の時点で郷田が「指す手がない」と言うくらいの差がつき、そのまま中原が押し切った。これで中原は対郷田戦2勝目となったが、前回勝ったのは一昨年の王将戦。そのときは王将に挑戦しており、非常に幸先のいい出だしとなった。一方郷田は他棋戦もあわせると3連敗。王位戦で破れて以来、不調に陥っているのだろうか。
感想戦の時点で、隣の羽生-村山戦は終盤戦だった。羽生は時たま感想戦をのぞいているのに対し、村山は盤上しか見ていない。控え室で見ている限りではまだまだ難しそうな将棋に見えたが、実は中盤の攻防ですでに羽生が優位を築いており、その後も差が縮まらない将棋だったようだ。羽生はそのまま勝ちきり、対村山戦3年ぶりの勝利を挙げた。村山はこれで今期5勝9敗。今期から東京に移転して将棋会館のすぐ近くのマンションに住み、主要な対局のある日は控え室で研究に加わっているのだが、それが白星に結びつかず、不振に陥っているようだ。
(中略)
2回戦は10月2日の有吉-丸山戦からとなった。1回戦抜け番だった有吉にとっては開幕戦である。丸山は9月に7局指した。今後も対局予定は目白押しで、しかも王将戦・NHK杯・早指し戦と対羽生戦が3局あるのを筆頭に強敵揃い。「対戦相手はA級棋士並みなのに、対局日程はC級棋士なみ」と丸山も嘆いて(?)いた。
(中略)
10月9日には1勝同士の羽生-森内戦が行われた。ここまでの14局は羽生の8勝6敗。王将リーグでも4期連続で当たっており、羽生から見て「●◯●◯」となっている。特に3年前には、千日手2回で終局が午前3時40分という激闘を行っている。最近では8日前の日本シリーズでも対戦しており、その時は森内が勝っている。
今回は先手森内が角換わり腰掛け銀にした。羽生は対角換わりでは定番の後手棒銀。羽生が端攻めを敢行し、森内が馬と交換した飛車を羽生陣に打ち込む展開となり、森内が優勢となった。
3図は羽生が馬取りに対し、逃げずに紐をつけたところ。このへんでは、控え室の検討陣は森内勝ちの結論を出していた。この時点で残り時間は森内2分、羽生7分。
3図以下の指し手
▲5六香△4三金引▲9二竜△4七馬(4図)3図では▲5八香で勝ちだった。この手だと、と金は作られるが、手駒不足の羽生の攻めは切れ模様になる。本譜は▲5六香△4三金引。そして、ここで最後の1分を投入して▲9二竜と指したが、これは悪手だった。ここでもまだ▲5八香で勝ちだった。△4七馬とされてみると、この馬が直前に指した5六の香と9二の竜にあたっているのだ。これだと、▲9二竜のところではパスしたほうがまだいい。4図でも森内有利ではあるのだが、もはや流れは羽生のほうにいってしまっている。
かくしてまたもや「羽生マジック」が出た。王座戦や名人戦でもあったが、なぜ羽生の相手の棋士はこうも勝ちの局面で間違えるかと思われる方は多いだろう。
あくまでも仮説だが、「そこでの最善手だと対戦相手が思いがちな手が、実は逆転を誘発する悪手」という局面に持っていくのが、不利なときの羽生は上手いのではないか、と記者は考えている。読者の皆さんはどうお考えだろうか。
なお、2回戦最後の中原-村山戦は中原が勝ち2連勝とした。果たして羽生が独走するのか、それとも中原をはじめとする強豪達が意地を見せるのか。3回戦は10月24日の郷田-村山戦から始まる。
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「だが、その敗戦のショックを感じさせず、羽生はタイトルを次々と防衛。そしてまた竜王戦七番勝負と王将リーグを並行して戦う秋が来たのである」
羽生善治六冠(当時)が七冠を獲得することになる第45期王将戦のリーグ戦序盤の模様。
前期の王将戦以来、ここまで五冠の連続防衛を果たしてきたのだから、本当に凄い。
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「ところで、この対局の直前に出た週刊将棋に『初手▲2六歩は先手の勝率が悪い』という記事が載った」
このような時代もあった。
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「昨年の王将リーグの羽生-村山戦では、村山が『羽生の頭脳』にない手を指して勝ったが、今回は羽生がはずした事になった」
この前年の王将リーグで村山聖八段(当時)が『羽生の頭脳』にない手を指したのは次の対局。
『羽生の頭脳』をたたき台として、次々と新手が現れる時代だった。
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「一方郷田は他棋戦もあわせると3連敗。王位戦で破れて以来、不調に陥っているのだろうか」
3連敗で不調と言われるのだから、いかに郷田真隆五段(当時)の活躍がすごかったかがわかる。
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「村山はこれで今期5勝9敗。今期から東京に移転して将棋会館のすぐ近くのマンションに住み、主要な対局のある日は控え室で研究に加わっているのだが、それが白星に結びつかず、不振に陥っているようだ」
村山聖八段は、この期のA級順位戦でも降級をしてしまうことになる。
しかし、翌期、1期でA級への復帰を決める。
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「対戦相手はA級棋士並みなのに、対局日程はC級棋士なみ」
勝率の良い棋士が王将リーグに入ると、かなり高い確率でこのようになると思う。
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「かくしてまたもや『羽生マジック』が出た。王座戦や名人戦でもあったが、なぜ羽生の相手の棋士はこうも勝ちの局面で間違えるかと思われる方は多いだろう」
羽生六冠がこの敗勢だった森内俊之八段(当時)との一局に敗れていたとしたら、(結果的に)王将戦で挑戦者になっていたかどうかはわからなかったほど。
→羽生善治七冠達成を阻んでいたかもしれなかった一局(1995年王将戦挑戦者決定リーグ戦:対森内俊之八段戦)
羽生六冠が0勝2敗で迎えたこの期の王位戦七番勝負第3局も、郷田五段に敗れていれば、王位防衛が非常に難しくなる状況であり、羽生六冠自身も防衛後「第3局を勝てたのが大きかった」と語っている。
→羽生善治六冠「あっ、あいています」、郷田真隆五段「行きます」
→郷田真隆五段(当時)「将棋はぼくの体の一部。本筋でない手は指が排斥する」
羽生七冠達成に大きな意味を持つ対局というと、この2局(王将リーグ戦対森内八段戦、王位戦第3局対郷田五段戦)が思い浮かぶ。