丸山忠久六段(当時)「ここで早くも他力になった」

将棋世界1995年5月号、昇級者喜びの声C級1組→B級2組、丸山忠久六段(当時)の「今期を振り返って」より。

将棋世界同じ号より。

 1局目、対屋敷戦。序盤の作戦がまずかったようで完敗。ここで早くも他力になった。

 2局目、対中田功戦。夕休前に大悪手を指した。夕休後、玉砕するか、じり貧覚悟で自重するか悩んだが、結局自重。大苦戦の末、逆転勝ち。

 3局目、対日浦戦。公式戦で初めて3三桂戦法を使ってみた。うまく捌け2勝目。

 4局目、対宮田戦。途中やや指し易いと思っていたのだが、渡さなくていい金を渡し、手筋の中合の歩をうっかりし図の局面になった。

丸山

 ここでは負ける予感がした。とても嫌な気分になった。その何十分後には勝っていた。とても不思議な感じがした一局だった。

 5局目、対西村戦。時間を湯水のように使ってしまい心配だったが、結果的にはちょうどいい時間配分だった。

 6局目、対桜井戦。終盤、一方的に時間がなくなり延々1分将棋が続いたが、何とか逃げ切ることができた。ほっとした。

 7局目、対所司戦。この少し前に他棋戦で負けており自信がなかった。終わった後、どっと疲れた。

 8局目、対宮坂戦。夕休直前、敗勢になる順があった。危なかった。ツキを感じた。

 9局目、対河口戦。指せると思っていた局面が、落ちついて考えてみると自信がない。終盤好手を発見し光明が見えた。

 10局目、対坪内戦。前局で昇級が決まっていたが、最後まで全力を尽くそうと思い指した。

 今期は私にとって他棋戦も含めよい1年であった。来期が終わった後、またこう思えたらいいなあと思う。

 そのためには、もっともっと頑張らねば。

 最後になりましたが、応援して下さった皆様に、御礼申し上げます。

 ありがとうございました。

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プロ野球の開幕戦、読売ジャイアンツが勝って翌日のスポーツ紙に「読売ジャイアンツ、マジック142!!」という記事が載るようなことがあったかもしれないが、順位戦1局目に敗れて「ここで早くも他力になった」は、それとは表現は真逆であるが、似た雰囲気のアプローチだ。

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4局目、図から△4七銀などが見えていて先手がかなり危なさそうに見えるが、ここから勝つのだから凄い。

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今日から竜王戦七番勝負で、丸山忠久九段が挑戦者。

丸山九段の少年時代の写真が見つかった。

将棋世界1984年10月号、グラビアより。

第9回中学生名人戦 丸山忠久君(千葉・太田中)が優勝

第9回中学生名人戦が8月8、9、10日の3日間にわたって、東京将棋会館で行われ、研修生である丸山忠久君(千葉・太田中2年)が初優勝した。

丸山

将棋世界1984年10月号掲載の写真。

当たり前といえば当たり前だが、本当に将棋が強そうに見える少年だ。