NHK将棋講座1996年5月号、湯川恵子さんの第45回NHK杯テレビ将棋トーナメント準決勝〔羽生善治七冠-深浦康市五段〕観戦記「みせてくれます、羽生将棋」より。
あの奇跡の聖バレンタインデーから本局は5日後の一戦だ。
羽生善治七冠王は、朝10時に第4ロビーに現れたときは、皆をハッとさせるほど青白い顔をしていた。風邪もまだ治っていない。ろくに寝る暇もないのだろう。
(中略)
深浦康市五段は先に到着していた。物静かに落ち着いた眼鏡顔が、いつもどおりとても健康そう。将棋連盟のサッカー部よ。
解説役は佐藤康光七段いや八段!? 去年のうちにすでにA級昇級を決めている。
その解説で最初に言ったことは、
「いいカードですねぇ。羽生-深浦戦といったら、今の将棋界では三本の指に入ります。
まだデータは3局だけだが、深浦五段は羽生に勝ち越している珍しい棋士だし、実際、これは両者の持ち味が存分に出た素晴らしい一戦だった。副調整室での観戦組が、「あっ!」「えーっ!」「ひぇ~!」と叫んだシーンが何度も勃発した。
(中略)
今年1月、深浦五段は結納のため婚約者と帰郷したそうだ。彼女は、風邪をひいて通った病院でたまたま注射してくれた看護婦さん。たまたま同郷の人だったという縁。一目惚れでもなかったが、寄せにはいってからはめっぽう速く、初デートから2ヵ月後にプロポーズしたとか。風邪はひいてみるもんですね。
そういえば、羽生七冠王は王将戦第4局のときの風邪が治らず、対局中も咳をしていた。
「寝てれば治るんでしょうけど……」
と局後、某社にインタビューに苦笑しつつ答えていた。大山名人語録には”風邪をひいていたほうが慎重に指せていい”というのがある。風邪の羽生流は慎重か、どうか。とくとご覧ください。アッという間に乱戦だ。
(中略)
実はこの日の朝、記者は羽生さんに意表をつかれて感動した。夫が某誌で羽生七冠王の語りおろしの仕事をした。その件で羽生さんへの用件を託されてきたのだが、青白い顔色にショックを受けて、切り出すタイミングが難しい……と思案しかけた瞬間、
「これをご主人に渡してください。ほかには何も直しはありませんと伝えてください」
渡された紙片には原稿の直しが一箇所。それも、プロフィール部分に記された身長を、2センチ短く訂正してあっただけ。
七冠達成から5日間、われわれの想像を絶する環境に居て、こういう細やかな事柄までを、見事にクリアする人なのだ。
(中略)
もう駒の損得など意味ないのだが、一応、6図の局面は飛車+角と金1枚の交換。ますます後手の駒得が大きくなっている。
そのぶん、先手側の攻めが鋭く後手陣に突き刺さり、際どくバランスがとれている。
「いやぁ、さすが深浦さんの将棋は粘り強いですねぇ。先手も指し切らされるか否か、ギリギリの攻めです。いい将棋ですねぇ……」
佐藤七段が形勢判断に関する言葉を避けていただけに、記者はワクワクした。
深浦五段はすでに秒読みに追われていたが、その一手一手に絶妙のしのぎのテクニックが連発されているのだ。ビュッ、パシッ、と指す手つきは、まるで魂の塊が音立てているかのようで怖かった。
こんなときに記者のメモは「マカロニサラダ」とある。なんだっけ、コレ……。
そうそう、長崎県佐世保の「ふかうら」に2度行った。うなぎ、焼き鳥、新鮮な魚介類が並んだ中で、ちょいと小皿のマカロニサラダもおいしかった。実直そうなおとうさんと、明るいお母さんが元気に働いていたっけ。
息子の戦う姿をテレビで見る親は、単純にうれしいだけではないだろうな……。
(中略)
途中▲3四歩の局面で、羽生さんが勝つんだなと、ようやく記者にも収束が見えてきた。最後は、再び羽生七冠王の飛車が逃げずに攻め切った。
(中略)
報道陣がスタジオに待ち受けていて撮影会があった。七冠王の役目は大変だ。ちなみにスケジュールは本局が19日。20日が勝ち抜き戦の対局。21日が取材。22日が移動。23日が棋王戦第2局。
帰りがけ、第4ロビーでのひととき。
「恵子さん、明日はみえますか?」
と羽生さんから話しかけられた。チェスや象棋を楽しむ”国際将棋部”の会のことだ。
「僕も明日は連盟で対局ですから、ちょっとのぞきに行きます」
その例会に羽生さんはよく参加しているが、対局日に顔見せてくれるなんて!
(以下略)
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「深浦康市五段は先に到着していた。物静かに落ち着いた眼鏡顔が、いつもどおりとても健康そう。将棋連盟のサッカー部よ」
このような記憶があったからだろう。この3年後、ふとしたことがきっかけで、湯川恵子さんが深浦康市六段(当時)へ連絡をして、日本将棋連盟VSウィーンフィルハーモニー管弦楽団のサッカーの試合が実現されることとなった。
→サッカー「日本将棋連盟VSウィーンフィルハーモニー管弦楽団」
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「今年1月、深浦五段は結納のため婚約者と帰郷したそうだ。彼女は、風邪をひいて通った病院でたまたま注射してくれた看護婦さん」
この年の9月28日に結婚式が行われている。
いろいろと楽しくなるようなスピーチがあったようだ。
→深浦康市五段(当時)の結婚式での森下卓八段(当時)のスピーチ
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「大山名人語録には”風邪をひいていたほうが慎重に指せていい”というのがある。風邪の羽生流は慎重か、どうか。とくとご覧ください。アッという間に乱戦だ」
この書き方が面白い。
ところで、大山流は「風邪をひいていたほうが慎重に指せていい」だが、升田幸三実力制第四代名人は、体調が悪い時は勝負を急ぐことが多かったという。
この辺は棋風が表れるのかもしれない。
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「報道陣がスタジオに待ち受けていて撮影会があった。七冠王の役目は大変だ」
この頃は、羽生善治七冠(当時)が行く所、どこへでも取材陣が集まってきたということなのだろう。
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「夫が某誌で羽生七冠王の語りおろしの仕事をした」
これは、月刊宝石1996年4月号に掲載された湯川博士さんの「羽生善治“考える方法”」。
1996年の将棋ペンクラブ大賞一般部門で大賞を受賞している。
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「渡された紙片には原稿の直しが一箇所。それも、プロフィール部分に記された身長を、2センチ短く訂正してあっただけ」
1997年に湯川さんからこの話を直接聞いて、とても感動した記憶がある。
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「息子の戦う姿をテレビで見る親は、単純にうれしいだけではないだろうな……」
深い。
この観戦記は、湯川恵子さんらしさが存分に発揮されていると思う。
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「チェスや象棋を楽しむ”国際将棋部”の会のことだ」
この頃から、羽生七冠の趣味の中ではチェスの比重がどんどん増えていったと考えられる。