米長邦雄九段「焼け跡に焼夷弾を落とす」

近代将棋1996年9月号、米長邦雄九段の「米長さわやか流対談、この一局」より。聞き手は福本和生さん。

近代将棋1996年9月号より、撮影は弦巻勝さん。

米長 さて、それでは棋聖戦第3局の検討に入りましょう。先月号の名人戦解説で<△6九銀>の一手だけを詳解したように、棋聖戦第3局もそれぞれのポイント解説とします。

 ところで第1局は淡路島での対局でしたね。地元の将棋ファンは喜ばれたでしょう。

福本 阪神・淡路大震災の復興にエールを送る淡路島での初の将棋タイトル戦でしたが、地元は大歓迎でした。とにかく羽生人気が猛烈で、前夜祭では羽生棋聖はカメラ攻勢に見舞われていました。すごいスターが誕生したものです。

(中略)

米長 第2局は都心の「ホテル高輪」が対局場でしたが、公開対局が大変な評判を呼んだそうですね。

福本 なぜかいままで都心での公開対局がなかった。だから公開対局をやりますと発表したら、とたんにわっと観戦希望が殺到でした。5,000円の料金で定員が満杯、それでも見たいファンが押しかけて立ち見となりました。大盤解説、指導将棋とファンサービスをしましたが、将棋界は「魅せる将棋」の時代に入りました。羽生人気もさることながら、若い女性の若手棋士への熱中ぶりも驚異です。

米長 ありがたいことですね。将棋への関心がこんなに高まり、ファンも定着してきた。いまこそ将棋連盟は将棋の普及にお金を使うべきですね。よろしく百年の大計をたててもらいたい。

福本 大盤解説も盛況で、中原先生の冗談まじりの話術の巧みさが好評でしたが、行方尚史五段の解説の人気もなかなかでした。将棋が投了となって、みなさん解説会場から公開対局場に移動しましたが、行方解説を見ていたいという女性ファンがかなり残っていました。翌朝は三浦五段に色紙を書いてもらった女性が、うれしさから涙ぐむ感動的なシーンもありました。羽生人気だけでなく、将棋人気は広がりをみせてきましたよ。

米長 その人気から総合して、観戦記の書き方、写真の撮り方、大盤解説のしかた、対局場の設営、すべてに今までの既成概念を取り払って、対局者が将棋に打ちこむ姿勢は変わらないけれど、それをいかに二次的に表現するか、この点で抜本的な改革が必要ですね。

米長 それでは第2局の解説に移りましょう。

 局面は三浦五段が▲6八飛(C図)とまわったところ。ここではすでに、三浦五段の敗勢である。第1局で羽生棋聖の▲4八銀を敗着、そしてここで三浦五段の▲6八飛を敗勢という、これがいけないのですね。もっと人びとに感動を与えるような表現でなければならない。

 どうも棋士は真実をあからさまに言うのがよくない。私も反省しています。しかし私の解説は棋士良心に恥じないということで、そういうことになる。いけないことも十分にわかっている。

 ▲6八飛のC図の局面を私が鑑定しましょう。

 ここで羽生棋聖からは△9一香と打つ手がある。▲6八飛に△9八歩と垂らして▲8八銀引か▲8八銀打としての△9一香である。以下、△9九歩成▲同銀△9七香▲同桂△同香成の端攻めがある。これが羽生棋聖側からの唯一の攻め手筋である。

 先々月号で「焼け跡に焼夷弾を落とす」という話をしましたね。このとき福本さんは、ずいぶん古い表現ですねと言いましたが、この△9八歩から△9一香がまさしく「焼け跡に焼夷弾を落とす」の攻めであって、元来この手は間に合わないとしたものです。

 なぜ間に合わないかというと、そんなことをしている間に先手のほうから当然、手持ちの角銀と、いま渡したばかりの香の3枚を持たれて、反撃されて後手が不利になるというのが将棋の常識である。

 その反撃の場所はどこか。通常考えるのは居飛車の▲2八飛で▲2五歩と飛車先の歩が伸びている形、これは飛車を使って攻めていくのが王道である。

 次に考えられるのは、▲6八飛とまわる手はあるが、▲6六歩-▲6五歩と歩が二つ突いてあって▲6四歩△同歩▲同飛と走って、手駒がいっぱいあるので焼け跡に焼夷弾はダメですよ、ということになる。したがって通常はこの攻めは成立しないはずである。

 ところがC図をよくごらんください。6八に飛車はまわっているが、かんじんの▲6六歩-▲6五歩が伸びていない。2筋からの反撃も飛車がいないのでだめである。

 ということは、この平凡な△9一香打の攻めが間に合うということである。

 本局は三浦五段の序盤の構想に問題がある。▲1六歩-▲1五歩と端に2手かけた手法、これがはたしてどうであったか。

(中略)

 それよりは第2局の真の敗因をさぐってみると、三浦五段は羽生棋聖が強いと錯覚しているのではないか。あまりにも趣向をこらしすぎた、作戦をたてすぎた、相手が弱いと思えば自然に戦い、自然にふるまえたはずだ。

 相手が強いのではあるまいかという疑心暗鬼が、次から次へと策をめぐらすということになって、結局C図の局面にいたった。したがって第2局の敗因は、三浦五段の対羽生観によるものである。

福本 三浦五段は自身が描いた「羽生の幻影」に敗れた。しかし、その幻影を描かせたのは「羽生の強さ」ですね。

米長 三浦五段はもう一度修行のやり直しで、私の内弟子に引きとろうかと思っていますがね。

福本 しかし、米長先生は三浦五段に2戦して2敗ですよ。

米長 そうだった。内弟子になるのは私のほうだったよ(爆笑)。

(中略)

米長 さて、1勝1敗となって迎えた第3局ですね。対局場は私にとっても思い出の深い「陣屋」です。

 私は「陣屋」の女将さんに電話して、よろしくお願いしますと言いましたら、女将さんいわく「今の若い方は楽でいいですよ」(笑い)。これはどういうイミなんですかね。かつての”若手”としては気になる発言ですぞ。

 ところで、みなさんは「陣屋」自慢の三色カレーを昼飯にめしあがったのでしょうね。

福本 私は昼飯はカレーと思っていましたら、うな丼でしたよ。

米長 私は20数年来、「陣屋」に行っていますが、昼飯はカレーと決まっていましたがね。

福本 午前11時ごろ、羽生棋聖がふらりと控え室に入ってきました。昼飯の話になって、うなぎと聞いて、それは重いので天ぷらそばを注文、私もそれに便乗しました。午後の再開となって、私が夕食の注文を両対局者に聞くと羽生棋聖は即座に「うなぎにします」で、三浦五段は「鍋焼きうどん」。羽生棋聖の注文に何となく気合いを感じました。

(中略)

米長 いま先手番の矢倉で主流をなしているのは▲3七銀型で、これに対して後手の指し方がいろいろあるが、その一つが△9四歩-△9五歩と端を伸ばす型。

 34手目の△7三桂(D図)、これが端攻めからいつでも△9七桂成をみせて、先手の攻めを牽制する指し方。

 こうやって先手の出かたをみるという、しかるに三浦五段はその後に何をやったか。

 相手の出かたをみるといいつつ、それから10数手進んだ53手目▲4六歩(E図)をご覧あれ。

 D図からE図の指し手をみると、三浦五段の駒だけがよく動いていることがおわかりであろう。三浦五段は一方的に△4五歩と位を取って、さらに△4四銀と上がって、その間、羽生棋聖はなんにもしていないにひとしい。

 それでは三浦五段が位を取って優位に立ったか、否である。敗勢に陥ったのである。すでにこの局面は敗勢である。

 動いてはならないときに動くのは、人生でも敗着につながる。じっとしていることが必要なときは、じっとしているのがいい。将棋で手得が生きるときはプラスであるが、そうでないときは動いたことがマイナスになる。

 三浦五段は動きすぎて、そこに隙間が生じて羽生棋聖からの強烈な反撃パンチをくらって敗れた。

 本局をみると三浦五段が9筋を突き越して、△4五歩から△4四銀の形があまりにも薄すぎる。

 E図から3、4筋で激闘が起こるのは必然だが、そのとき後手の△8二飛と△6二銀が攻防の要所から遠く離れている。第3局は羽生棋聖の名局というより、三浦五段の愚局である。

 やっぱり内弟子にとろうか―(笑い)。

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東京都で行われた初めてのタイトル戦公開対局。

この当時で「5,000円の料金で定員が満杯」とは凄い。

羽生善治七冠フィーバーの勢いの凄さとも言えるだろう。

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「行方解説を見ていたいという女性ファンがかなり残っていました」

「三浦五段に色紙を書いてもらった女性が、うれしさから涙ぐむ感動的なシーンもありました」

聞いているだけでも嬉しくなるような情景。

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「そしてここで三浦五段の▲6八飛を敗勢という、これがいけないのですね。もっと人びとに感動を与えるような表現でなければならない。どうも棋士は真実をあからさまに言うのがよくない。私も反省しています。しかし私の解説は棋士良心に恥じないということで、そういうことになる。いけないことも十分にわかっている」

昨日の記事にあるように、米長邦雄九段は「将棋というものは本来、人びとに喜び、感動を与えるのが使命であったのが、現在は勝負の一点にこだわり、真実の追求にだけ執着しすぎているのではないか。リアルだけでなく、デフォルメも必要でしょう」と語っているが、棋士にとって、いかにこの言葉を実行することが難しいかを物語っている。

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「この△9八歩から△9一香がまさしく『焼け跡に焼夷弾を落とす』の攻めであって、元来この手は間に合わないとしたものです」

「焼け跡に焼夷弾を落とす」とはユニークな例えだ。

「砂漠にミサイルを撃つ」という言葉もあるが、多少ニュアンスが異なってくる。

とはいえ、C図の先手の9筋が既に焼け跡になっているようにも見えない。

プロの視点では焼け跡ということになるのだろうか。

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「三浦五段はもう一度修行のやり直しで、私の内弟子に引きとろうかと思っていますがね」

米長九段は、佐瀬勇次名誉九段一門的には、三浦弘行五段(当時)の叔父にあたる。

それだけ三浦五段を高く評価していたということだろう。

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「しかし、米長先生は三浦五段に2戦して2敗ですよ」

この福本さんのツッコミが絶妙で可笑しい。

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「動いてはならないときに動くのは、人生でも敗着につながる」

「キジも鳴かずば撃たれまい」よりも広い意味。

この言葉の意味を理解していても、動いてはならないときなのか動いても良いときなのかを判断すること自体が難しい。

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「やっぱり内弟子にとろうか(笑い)」

まだ諦めていなかった。微笑ましい。