将棋世界1996年12月号、田村康介四段(当時)の「待ったが許されるならば……」より。
某月某日(王将戦一次予選決勝)
相手は早見え早指しで有名な前田七段。何しろ元NHK杯選手権者である。当然ながら午前中から物凄いペースで進み、10時半頃には50数手進むという展開で僕の必勝形となった。”このままなら午前中に終わるし、パチンコに行こうか、それとも地方競馬にでも行こうか……”。まず悪魔のささやき第一弾である。
事件が起きた。前田先生が盤の前からいなくなって帰って来ないのである。
焦った。イラツイた。”これじゃあ午前中に終われない。まともな遊びは何も出来ない……”。結局午前中は戻って来られず次の手を指されたのが1時10分頃。
それからはペースが狂って大悪手連発。
午前中の心境……(早く終わらせて遊びに行きたい)、午後になってからの胸の内……(チェッ、中途半端な時間になった。早く終わっても仕方ネェじゃん)。
勝負勝負と前に出て行く順ばかり考えていたのが午前中、午後になって悪魔がまたまた自分にささやきかけるのだ。
”こんなに優勢になったじゃないか。時刻も中途半端だし、安全に、じっくりと指せばいいじゃないか……”
自分らしくもなく、自重したのがいけなかった。まさに悪手のオンパレード。
悪くなってからは尚いけない。過激になったり、妙な受けをしたり、まさにバラバラ。結局負けてしまった。
”田村康介倒すにゃ刃物はいらぬ。時を稼いでイライラさせよ”と誰かが言った。
まさに残念無念の敗戦。
●この日の教訓『休憩後の一手は、少しだけ考えよう』
某月某日(田畑指導棋士四段との遊興)
田畑良太四段は僕にとってまさに人生の大先輩であるとともに兄貴と呼ぶにふさわしい人である。あのきらめくような才能を開花させる事なく奨励会を去られたのであるが、現在も親しくお付き合いしてもらっている。
さてその田畑さんと先日麻雀を打ちに行った。徹夜で打ち続けそして二人とも負けた。”家に帰って寝るか”と話す二人ではない。当然の事ながら熱くなった頭で、後楽園ウインズ行きの話がまとまった。
出足はマアマアだったが段々と負けが込んで来る。メインレースは、中山、阪神、函館と3つあるが3レース分買う資金がない。仕方なく最初に始まる函館と中山の分を買い、当たったら阪神を買おうと思っていた。函館のメインは僕の馬券が見事的中。ゴール前絶叫そしてガッツポーズ。この瞬間の幸福感は四段昇段時の感激以来。トータルチャラにもなり換金の時間がなかったのでニコニコ顔で田畑四段にお金を借り阪神を買った。事件がまたまた起きた。
”阪神のメイン何買っているの?”と田畑さんが聞くので財布の中の馬券を見せながら”◯◯と◯◯で勝負っす” ”アレッお前の買ったのと全然違うじゃん……”
ギョッとなって見るとさっきの函館のレースと同じ目が書いてあるではないか。
そんな馬券は買った覚えがない。さっきのレースの感動興奮の余韻を引きずったまま徹夜のボケた頭で馬券を買った結果がこうなったのである。
流石にこの時は待ったがしたかった。
終わってみれば当然オケラ。(ハァー)
●この日の教訓『オケラ、徹夜で競馬に行くな』
某月某日(先輩棋士との旅行)
中田(宏)六段、高田五段、小倉五段とニュージーランドに旅行した。
”午前中にスキーを楽しみ、ホテルに帰るとカジノ三昧” 自分にとってこんなに魅力あふれる旅行の誘いは初めてだった。
しかし、やっぱりまたしても事件は起きてしまった。2日目まではスキーも楽しみカジノでもルーレットで大当たりをしたので、◯万円のプラスとなり上機嫌であったのだが……。本来僕は寒さには強いと自負している。冬でも家では冷房を入れて寝ているし、富山のスキー場に、Tシャツ1枚とサンダルで行っておどろかれた事もある。
何とその後、僕が39度の発熱をして2日間ずっとホテルで寝る羽目になってしまった。その間三人の先輩には、薬や食べ物など大変世話になった。異国の地での親切は身にしみる。”何と優しい人たちだろう”と心から感謝していた。
さて旅行最終日である。昨日まで優しかった先輩たちがカジノに僕を誘うのである。小倉先生は”2日間運をためていたんだから絶対に勝てる”などと言って僕にせまるのだ。まさに悪魔のささやきであった。結果は大勝負を挑んで大敗。
病弱の身にはこたえました。泣いた。
●この旅行での教訓『先輩は優しくもあり憎くもある』
”神様!!待ったをしますから、今日という日を返して下さい”とお願いをして聞いて貰えるなら、僕ほどお願いの多い人間はそんなにいないだろう。『後悔先に立たず』とはよく言ったものである。
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「事件が起きた。前田先生が盤の前からいなくなって帰って来ないのである」
「”田村康介倒すにゃ刃物はいらぬ。時を稼いでイライラさせよ”と誰かが言った」
前田祐司九段は、とても面白い愛すべきキャラクター。
前田七段が席をはずしたのは11時より前だったのかもしれない。
老獪な、全く合法的な盤外戦術だ。
待ち合わせ時刻をはるかに過ぎても現れない友人を待つ時よりも、精神的な負担は大きかったかもしれない。
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「徹夜で打ち続けそして二人とも負けた。”家に帰って寝るか”と話す二人ではない。当然の事ながら熱くなった頭で、後楽園ウインズ行きの話がまとまった」
田村康介四段(当時)は、この5年後に、手順は違うが(競馬→麻雀)、自戦記で同じような展開があったことを書いている。
田畑良太指導棋士六段は郷田真隆九段の兄弟子でもある。
→田村康介五段(当時)のギャンブル断ちを一瞬で打ち砕いた郷田真隆八段(当時)の一言
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「本来僕は寒さには強いと自負している。冬でも家では冷房を入れて寝ているし、富山のスキー場に、Tシャツ1枚とサンダルで行っておどろかれた事もある」
たしかに、田村七段はいつも厚着ではないという印象があるが、こういうことだったのかと納得。
Tシャツ・サンダルでスキー場も驚くが、それ以上に冬に冷房を入れて寝ているのが凄いと思う。
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「小倉先生は”2日間運をためていたんだから絶対に勝てる”などと言って僕にせまるのだ。まさに悪魔のささやきであった。結果は大勝負を挑んで大敗」
- 病気は運が悪かったのだから、エネルギー保存の法則で、その分、ギャンブル方面に運が貯まっているはず
- ◯万円のプラスとなった運は、2日の間に利息がついて貯まっている
と前向きに考えることもできるが、
- ◯万円のプラスの運の勢いは、2日の間に減衰している
- エネルギー保存の法則で、◯万円のプラスの運を相殺する形で病気になった
と後ろ向きに考えることもできる。
どちらにしても、ギャンブルは、回数を重ねれば重ねるほど勝てる確率は減っていく、という法則から逃れることが難しい。
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「”神様!!待ったをしますから、今日という日を返して下さい”とお願いをして聞いて貰えるなら、僕ほどお願いの多い人間はそんなにいないだろう」
上記の3つのケース、それぞれ気持ちの動きが非常によく理解できる。
自分も同じ状況にあったら、同じことをやっているはずだ。