撮影所の升田幸三九段

将棋世界1991年8月号、映画監督の山口和彦さんのエッセイ「勝ち方教えて下さい」より。

 今年4月、鬼籍に入られた昭和の鬼才、升田幸三氏は、私にとって永遠に忘れることの出来ない魅力ある人物です。

 今でも、将棋の駒を手にする時、氏のあの時の言葉が、私の脳裏に、青春のにがい思い出として、あざやかに蘇って来るのです。

 そして、私がその言葉の持つ重さと、意味の深さを理解出来る様になるまでには、約30年もの月日がかかったのです。

 それは私が、まだ将棋というものを、駒の動かし方しか知らなかった昭和37年、秋の話です。

 その頃、私は東映大泉撮影所で、助監督をしていました。その年、村田英雄の”王将”という歌が大ヒットし、我が東映で、映画化することになり、私も、助監督として、映画製作に参加しました。

 若い将棋ファンの方は、ご存知ないかも知れませんが、この”王将”という映画は、大阪の棋士、阪田三吉をモデルにして作られたもので、それ以前に、2回も映画化され、いずれも人気の高かったものの3作目です。

 主演は三国連太郎、監督は、伊藤大輔。

 その日は阪田三吉七段と関根金次郎八段の対局(関根八段の香引き)のシーンを撮影する事になっていました。その対局指導に来て頂いたのが、当時、プロ棋士の中で最強と言われ、マスコミを賑わせていた升田幸三氏だったのです。将棋の世界を全く知らなかった私でも、升田幸三という名前だけは、ある種、畏敬の念をいだいて存じ上げていました。

 あの頃私にとって升田幸三は力道山、長嶋茂雄、石原裕次郎、アート・ブレーキー、三島由紀夫等と同じ次元の、憧れの男性だったのです。

 私はそんな升田氏が撮影現場に来てくれるというので、感激にふるえながら、その日を迎えました。

 ロケーションは、椿山荘の広大な庭を見晴らす和室で行われました。阪田三吉を演じる三国連太郎と、関根金次郎役の平幹二朗が、盤の前に座り、準備が整った処に、升田氏が到着しました。

 眼光鋭く、口髭をたくわえ、ぼさぼさの髪。黒っぽい和服に身を包んだ升田幸三の風貌が、私を圧倒し、何と巨大に見えたことか。

 やがて、升田先生に、阪田三吉があの有名な台詞『銀が、泣いトる、2五の銀が、泣いトる・・・・・・』とつぶやく場面の棋譜を並べていただき、二人の俳優に対局での座り方、駒の持ち方、手さばき等の指導を願って、撮影は始まりました。そして、昼休み時間になりました。幸いにも先生と同席出来た事をチャンスと若い私は、”升田先生、棒銀での勝ち方を教えて下さい”と頼んだのです(その頃の私は、他の戦法のことなど全く知らず、ただ銀がやみくもに、上に出て行くのだけが、棒銀だと思っていたのですが)。

 ところが、先生は、ジロリと私をにらみつけ、

 ”そりゃ、君、色々あるよ、無限にあるよ”と、ぶっきらぼうに言い放たれました。それでも私は執拗にねばりました。

 ”いろいろあるなら、一つ位教えて下さい!”

 しかし、先生はタバコを口にすると、もう私の方など、振り向こうとは、なさいませんでした。そのきびしい横顔に、私はそれ以上、何も言えず、バツの悪い思いでその場を離れたのでした。

 あの時から、約30年の年月が、経ちました。そして今、あの怖い思い出が、升田幸三流の男のやさしさだったのかも知れないと、思える様になりました。

 ”色々あると、無限にあるよ”

 この言葉には、―君ね、将棋にだって、人生にだって、勝ち方は、無数にあるんだよ。それは、人に教えて貰うものではなく、自分の手で、一つ一つ苦しみながら、勝ち取って行くものだよ―と言う意味が込められていたに違いありません。幾多の勝負のきびしさ、人生の苦渋を知りつくした者のみが、吐ける言葉です。

 私は、この言葉の中に、俺は棋界の頂点にいるんだという自信と、将棋は、俺の天職なんだという誇りを持った男の重さを今、しみじみと感じています。

 先生は、将棋盤の前だけではなく、数々のエピソードや、言動の中にも、壮大なドラマを演じて、その生涯の幕を閉じられました。

 しかし、あの時、あの言葉をかけていただいた私にとって、升田幸三は、人生の先達として、いつまでも私の心の中で、生きつづけることでしょう。

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昨日の記事の対談(松村雄基さん&林葉直子女流名人)で、松村雄基さんが「将棋を教えてくれた山口和彦監督とは会えば必ず指す」と語っていた、その山口和彦監督のエッセイ。

升田幸三九段が監修に加わった、三國連太郎さん主演の「王将」は1962年に公開されている。

阪田三吉が三國連太郎さん、妻の小春が淡島千景さん、娘の玉江が三田佳子さん、関村名人(関根十三世名人がモデル)が平幹二朗さん。

その時の写真が、将棋世界1995年8月号、升田実力制第四代名人の奥様、升田静尾さんの「鬼手仏心」に掲載されている。

将棋世界1995年8月号、升田静尾さん「鬼手仏心」に掲載の写真。升田九段の右側が奥様の静尾さん。

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映画監督の山口和彦さんは、早稲田大学を卒業後、東映に入社。

映画では、大信田礼子さんの「ずべ公番長シリーズ」、梶芽衣子さんの「銀蝶渡り鳥」、千葉真一さんの「空手バカ一代」、せんだみつおさんの「こちら葛飾区亀有公園前派出所」、小林旭さんの「多羅尾伴内 鬼面村の惨劇」など、

テレビでは、「アイフル大作戦」、「バーディー大作戦」、「Gメン’75」、 「スクール☆ウォーズ 」、「ポニーテールはふり向かない」、 「天使のアッパーカット」、「おんな風林火山」などの監督を務めた。

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ちなみに、関根勤さんが千葉真一さんの物真似をやるときに、声にならないような「ハーッ」と「カーーッ」の間のような声を出しているが、その元ネタとなっているのが山口和彦さんが監督をした映画「空手バカ一代」のラストシーンと言われている。

 

 


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