将棋世界1997年8月号、加藤一二三九段の「私の将棋史」より。
昨年本誌で、「思い出の戦場」という企画があり、私は「福田家」での思い出などを語った。私はいまも、時折この「福田家」の前を通りすぎる事がある。私の代表的な将棋は、ここで指された。
箱根の「石葉亭」も私がよく指した対局場であった。楽しい思い出の多いところだが、現在は旅館でなくなっているので好捕から外した。食事もおいしかったが、私は特につけもののおいしさが印象に残っている。名古屋の「八勝館」もとても素晴らしかったが、そこでは第4期の王位戦1局しか指していない。
あるホテルでは、当地のカトリック教会のミサの時間を社長から教えられて、驚くと共に感謝した事があった。日曜日ではないので平日のミサに出るのは自由なのだが、折角の好意でもあり、私は早朝のミサに出て対局にのぞんだ。
対局前夜の会食は、歓談しながらとなるが、私の数多い経験でも、立会人や主催社の人がよくしゃべって、対局者の私は、聞き手になるというのがいつもの状況であった。私の想像で、会食の時によくしゃべる方が調子が出るという対局者は少ないであろう。私はいま、時々立会人になる事があるが、この時はいろいろと楽しい話をするようにしている。
(以下略)
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「私はいまも、時折この福田家の前を通りすぎる事がある」
「福田家」は、東京・紀尾井町にある料亭。
現在は元の別館のあった場所に移転しているが、この頃は、四谷方面から見てホテルニューオータニの手前、紀尾井ホールと聖イグナチオ教会にはさまれた場所にあった。
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「私の代表的な将棋は、ここで指された」
鳥肌が立つような、感動的な言葉だ。
歴史の重みも強く感じさせられる。
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「私の想像で、会食の時によくしゃべる方が調子が出るという対局者は少ないであろう。私はいま、時々立会人になる事があるが、この時はいろいろと楽しい話をするようにしている」
まさに、タイトル戦を数多く戦いタイトル戦を熟知している加藤一二三九段ならではの対局者への思いやり。
将棋世界1996年11月号、高林譲司さんの「思い出の戦場 加藤一二三九段 福田家」より。
3年前、福岡市で行われた王位戦の立会人を加藤九段にお願いしたことがある。福岡は加藤の出身地でもある。この時加藤立会人は、若い対局者、すなわち羽生善治王位と郷田真隆五段の気持ちになりきって、きわめて丁寧な対局室検分を行った。たとえば天井の証明を確認し、どこに盤を設置したら両対局者に均等に光があたるか、時間をかけてその位置を求めた。もちろん部屋全体とのバランスもしっかり確認していた。この立会いぶりんいは、大仰ではなく感動したものである。
さらにそのあとの会食では、主役の二人を常に気にかけながらも、豊富な知識を開陳して座を飽きさせないよう配慮を見せた。
いずれも根底にあるのは、人間に対する優しさであろう。
(以下略)
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加藤一二三九段の立会いを、また、ぜひ見てみたい気持ちでいっぱいだ。