丸山忠久名人(当時)「これで終わってしまうのか、このまま負けてしまうのか、身体全体が大きくこれを拒絶した」

将棋世界2000年9月号、丸山忠久名人(当時)の「名人戦を振り返って」より。

 今回の名人戦が始まる前、そこには、希望、期待に満ち溢れた自分がいた。もちろん、名人位を取れる、取れないといった類のものではない。何か楽しいことが起きるのではないか、何か自分の知らないことが、そこにあるのではないか。そんな気持ちだった。本当にワクワクした。子供のように。

 一、二戦、思いがけない連勝だった。一局目、苦しい将棋だったが、苦しいという気持ちは、あまりなく、最後まで新鮮に楽しく将棋が指せた。二局目も、清々とした気持ちで将棋が指せた。これが良い結果につながったのだろう。

 三、四、五戦、連敗した。佐藤さんの底力を、見たような気がした。勝負をしていればいろいろなことがある。実力を、もっともっとつけなければと思った。

 六戦目、せっかくここまできたのだから、七局将棋が指したい、最終局までいきたい、そんな気持ちだった。この将棋、中盤で大きなミスをしてしまい、形勢がはっきり傾いた。これで終わってしまうのか、このまま負けてしまうのか、身体全体が大きくこれを拒絶した。勝てる見込みのある将棋とはとても思えなかったが、それでも身体が、負けることをはっきりと拒絶する。

 この将棋を勝つことができた。信じられなかった。七局目までいくことができ、ほっとした。

 七戦目、最終局は必ず熱戦になる、そう予感した。前日、一局目にお世話になった方からその時の写真をいただいた。自分で言うのも変だが、何と溌溂としていることか。鏡で自分の顔を見ると、何かが違っていた。何だろう?佐藤さんのあまりの強さに背伸びをしていたのかもしれない。明日は自分の指したいように指そう、そう思った。

 やはり大熱戦になった。自分の指したいように指す。何か、子供の頃、無邪気に楽しんでいた時に戻ったような気がした。そして、その結果、自分としては納得の行く将棋が指せた。不思議なものだと思う。

 最後になりましたが、応援していただいた方々に深く感謝しています。

 本当にありがとうございました。

平成12年7月

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1997年7月14日に行われたB級1組順位戦 丸山忠久七段-村山聖八段戦。

村山聖八段(当時)が膀胱を摘出する手術を受けた1ヵ月後に行われたこの対局は、終局が1時43分、173手の壮絶な戦いとなった(お互いに逆転が続き、丸山七段の勝ち)。

今から10年以上前、初めて『聖の青春』を読んだ時は、(丸山七段、何もそこまで粘らなくても……)と思ってしまったものだったが、今では、この丸山七段(当時)の姿勢こそが村山八段の気持ちを最大級に尊重していた現れではないかと強く感じている。

対局相手に体調のことを気遣われて指すのは村山八段の本意ではなく、とにかくお互いに死力を尽くして戦いたいというのが村山八段の本望だったはず。

先崎学六段(当時)「無神論者の僕だが、あの状態で、あれだけの将棋を指す奴を、将棋の神様が見捨てる訳がない。本心からそう思えてならなかった」

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先週の丸山九段の発言などを聞いても、丸山九段は「将棋指しの中の将棋指し」という感じがする。

以前にも増して、丸山ファンが増えているのではないだろうか。