自戦記

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森雞二九段らしさ全開の自戦記

将棋世界1986年2月号、森雞二九段の〔王将戦リーグ 対谷川浩司前名人〕自戦記「九段昇段の譜 ホッとした昇段」より。  今年の春、九段昇段へ勝浦八段がマジック18、私が16となった時があった。  その頃は当然自分が先に上がれるもの、と思い込...
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大山康晴十五世名人「人間、よくしゃべるようになったらダメになってきた証拠、と思う」

将棋世界1990年4月号、大山康晴十五世名人の第15期棋王戦〔南芳一棋王-大山康晴十五世名人〕自戦記「好事魔多し」より。  昭和61年の名人戦以来、久し振りのタイトル戦出場となった。  その時の「最年長挑戦」記録を、また更新できた訳だが、自...
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「こんにちはっス!豊川孝弘です」

将棋世界1992年12月号、豊川孝弘四段(当時)の第4回富士通オープン将棋トーナメント〔2回戦 豊川孝弘四段-永森広幸アマ〕自戦記「世の中そんなに…」より。  こんにちはっス!  豊川孝弘です。  昭和42年2月20日生まれ25歳。身長18...
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「凶悪無残な先輩の女だと承知で、いい女と寝てしまった時」とよく似ている局面

将棋マガジン1990年3月号、安部譲二さんの駒落ち挑戦記「負けても懲りない12番 第3番:大内延介九段」より。  米長さん、谷川さんと二連敗して、三番目は大内延介九段だと、将棋マガジンの編集部は、楽しそうに歌うように言う。  二枚落ちという...
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ヒールになってしまった羽生善治四冠(当時)…番外編

将棋世界1994年7月号、大崎善生編集長(当時)の「編集部日記」より。 5月16日  昼頃、羽生棋聖と対局中の谷川王将が編集部へ。  「私の初手▲7六歩に羽生君、どう指したと思います?」。  何手か言ってみたものの当たらない。  「△6二銀...