琴棋書画

「琴棋書画」という言葉がある。

琴棋書画(きんきしょが)とは、中国古来より士大夫(上級官吏)における必須の教養のことで、あくまで趣味の範囲ではあっても玄人はだしであることが求められた。

日本では江戸時代、文人趣味が広まるにつれて盛行した。平安時代の貴族にも重んじられていた。

「琴」は、琴、筝、和琴、琵琶のいずれかをたしなむこと。

「書」は、書を書くことと書を読むこと。江戸時代には唐様の書を書くことが文人趣味を満たすことだった。

「画」は、中国風の画を描くこと。

そして「棋」は、囲碁のこと。

将棋は含まれていない。

たしかに将棋よりも囲碁のほうが風流な感じがするが、日本における文人趣味は、あくまで中国風に対する憧れの上に成り立っていたので、日本生まれの将棋が対象外であっても不思議ではない。

それでは中国将棋であるシャンチーはどうかというと、これは日本はもとより中国でも「琴棋書画」の対象外。

シャンチーの原型ができたのが唐の時代で、現在の形になったのが宋の時代と伝えられているので、「琴棋書画」という言葉が生まれた時点でシャンチーは存在していなかった。

琴棋書画図屏風

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能に「善知鳥(うとう)」という演目がある。

親代々の狩人で、家業に励むことこそ肝心と教えられ、そのとおり努めて一生をまっとうした男が主人公。

男は死ぬと意外にも地獄へ落ちてしまう。

地獄では、男が殺した善知鳥が鷹になって男を襲ってくる。

苦しむ男の亡霊が、愛する残された妻と子、旅の僧の前に現れる。

しかし、僧の力をもってしても苦しむ亡霊をいかんともすることができない。

「助けて賜べやおん僧、助けて賜べやおん僧」という亡霊の叫び声で劇は突然終わってしまう。

この男の亡霊が劇中で次のように嘆く。

「士農工商の家にも生まれず、または琴棋書画を嗜む身ともならず、ただ明けても暮れても殺傷を営み、遅々たる春の日も所作足らねば時を失い、秋の夜長し夜長けれど漁り火白うして眠ることなし、九夏の天も暑を忘れ、立冬の朝も寒からず……」

そんな思いまでしてきたのに、ということだろう。

とても陰惨な感じのする演目だ。

作者は世阿弥。最も古い記録では1465年には演じられていたとされている。

個人的には、琴棋書画に将棋が含まれていないのは、残念な気持ち半分、含まれていなくて良かったと思う気持ち半分といったところか。

琴棋書画では敷居が高すぎる。

亡くなった狩人も、囲碁はやっていなかったとしても将棋はやっていたかもしれない。