行方尚史八段の個性の根源

無署名記事だが、かなり突っ込んだ表現。

将棋世界1997年1月号、「棋士達の背景」第1回 五段 行方尚史より。

ある意味では行方尚史という青年は、何か人の心の奥底をくすぐるようなところがある。彼の本質は不良少年で、それもつっぱりとかとは正反対に位置する軟弱でどうしようもない不良。常に自分の場所や在り方におびえその不安感がおそらくは彼を非行に走らせてしまう。非行といってもそれは現実的な行動ではなくて、すべては彼の精神の内側で起こる内なる非行であって、考えてみればある世代以前の若者は皆不良だった。世の中のシステムなんてすこしも信じていなかったし、大人の理屈は大嫌いだった。システムも理屈も自分の手のなかにあってそれだけを頼りに生きてきた。時には自分の存在の不安定さにおびえ、ときにはその存在のおそるべきパワーにバカみたいに酔いしれる夜もあった。行方の言動、風貌にはそんな忘れかけていた憧憬を思い起こさずにはおかない何かがある。

(中略)

ご覧のとおり変な髪形をしているし、相変わらず着ているものは不良少年のスタンスを少しもくずしていない。四段昇段以降、彼は勝って勝ちまくっている。それでも時々彼の瞳に見え隠れするどうしようもない不安のようなものは一体何なのだろう、そういう事を考えさせてしまうだけでも1996年の彼も十分に魅力的な存在なのである。

(以下略)

個性の強い文章だが、行方尚史という棋士が見事に描かれている。

現在の行方尚史八段にも通じるところがあると思う。

当時の大崎善生編集長による文章なのかもしれない。