「大山さんだけは別格」

近代将棋1982年6月号、スポーツニッポン新聞社の松村久記者の第31期王将戦〔大山康晴王将-中原誠名人〕「とにかく、強い強すぎる………」より。

 やはり千日手が流れを変えたのか?第31期王将戦七番勝負は、大山康晴王将が1勝3敗の劣勢をはね返し、フルセットの末、見事4勝3敗で逆転防衛を果たした。これで王将位はちょうど20期目。タイトル獲得数80期、優勝回数122回。さらに59歳でタイトル防衛などなど―いずれも大山自身の持つ記録を更新したことになる。

 1981年度の将棋界にはさまざまなことがあった。なかでも二上達也棋聖が米長邦雄棋王に1敗のあと3連勝して棋聖を奪回(これは1980年度の出来事だが)その後、中原誠名人、加藤一二三十段を挑戦者に迎え、いずれも三タテで退けた記録が、光っている。

 大山は今回、中原誠名人の挑戦を受けて、これを退けた。その前は米長邦雄棋王を破り、そのまた前年は加藤一二三十段から王将位を奪取している。年度こそ3年にまたがっているが、二上同様、現在の”三強”といわれる中・米・加を負かしているのだ。

 私が将棋担当記者になった4年前、プロ棋士たちが何かといえば「大山さんだけは別格」といって、いつも大山をわきに置いて、将棋を論じていたのが不思議でならなかった。加藤、米長、中原を3年間にわたって破った今、ようやく”別格”の意味するところを肌で感じることが出来るようになった気がする。とにかく強い、強すぎる。

(以下略)

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大山康晴十五世名人が亡くなった後も、控え室で「ここで大山十五世名人ならどう指していただろう」と棋士たちが話していたほどの大山十五世名人。

居飛車穴熊を相手に、角道を止めるオーソドックスな振り飛車で勝ちまくっていたこと一つとっても、やはり別格としか言いようがない。

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中原誠十六世名人と米長邦雄永世棋聖がいくつものタイトル戦で争っていたころ、「米中決戦」という言葉がよく使われていた。

世界情勢的には、現代の状況を40年近く前から先取りしていたことになる。

ここに加藤一二三十段(当時。まだ名人になる前)が加わって中・米・加と、中国と米国にカナダが加わった様相だ。

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現在の現役の棋士で、このような国名とからめた表現ができるかどうか調べてみようと思ったが、すぐに断念してしまった。

奥が深いというか、アゼルバイジャンが亜塞爾拝然、タンザニアが坦桑尼亜、エルサルバドルが薩爾瓦多など、ものすごく漢字が好きな人なら別だろうが、とても入り込みたくないような世界が待っていたから………

国名の漢字表記一覧(Wikipedia)