羽生善治名人の初著作「ミラクル終盤術」より、18歳の羽生五段の感じ方と日常。
[第9章]先手を取る
高校生時代は自転車通学でしたが、梅雨時は雨ばかり降って困りました。
そんな時は仕方ないので傘をさしていくことにしていました。
片手運転なのでやや危ないのですが、それよりも危ないのが自転車のブレーキが利きにくくなることで、坂道でちょっと冷たい想いをしたことがありました。
—–
雨が降った日の自転車は、「乗らない」か「雨具を装着して乗る」が定跡だが、傘をさすというのはかなり大胆な手筋だ。
…というより、あまり、そのような乗り方をしている人はいないと思う。
—–
この頃、羽生少年が住んでいたのは八王子。
—–
私は一度だけ八王子に行ったことがある。
2005年12月、社会人団体リーグ戦最終日。
いつも浜松町で行われる社会人リーグは、この日、会場の都合で浅草で開催された。
終了後、メンバーで打ち上げ。
この頃のチームの主宰は船戸陽子女流二段のお父様で、打ち上げには船戸陽子女流二段も参加。
二次会はワインが美味しい店、楽しい雰囲気でかなり飲んだ。
終わったのは午前0時。
浅草から神田へ出て、中央線に乗る。
席が空いていたのがいけなかった。すぐに眠ってしまった。
目を覚ますと、そこは終点の高尾の駅。午前1時30分。
体中から血の気が引いた。
荻窪で降りるはずだったのに…
財布を見ると残りの所持金は2000円。
乗り越し料金540円を払って駅の外へ出る。
社会人リーグの日はお金をあまり使わないので、銀行などのカードは家に置いてきている。
高尾の駅前には店もあまりなく真っ暗。
「どうしよう…」
救いは一つだけあった。
翌日(夜が明けてから)は、仕事ではなく人間ドックだったのだ。睡眠不足でもどうにかなる。
このまま始発電車が走るまで待っていても凍え死ぬ恐れがあったので、荻窪方面へ歩けるだけ歩いてみようと考えた。
暗い夜道には人通りはない。冬の空の星が綺麗だった。
午前2時過ぎ、西八王子駅に到着。高尾から西八王子まで電車で3、4分だが、歩くと結構時間がかかる。
更に歩いて八王子駅に着いたのが午前3時頃。
ここまで歩くと、ファミレスに入ってコーヒーでも頼んで時間をつぶすという気分にはなれなくなる。徹底的に歩こうと思い、広い通りに沿って更に歩く。
次に目指すのは豊田だ。
そういえば1997年、終電間際の中央線に乗って、立ったまま不動の姿勢で寝てしまい、豊田駅からタクシーで帰ったことがある。荻窪まで1万円以上かかる恐ろしい距離だった。
深夜の道を歩く。ひたすら歩く。
駅が見えてきた。…中央線の豊田駅ではなく京王線の京王片倉の駅だった。午前3時40分。
さすがに、これ以上進んでも道に迷うだけだと思い八王子駅へ引き返すことにした。
八王子駅、午前4時20分。
駅が開いていた。
始発は4時30分頃、あまり待たずに電車に乗ることができた。
家に帰って少しだけ眠って、午前9時30分に人間ドックへ。
—–
前の晩遅くまで酒を飲んで、3時間歩いて、ほとんど睡眠をとらずの状態での人間ドック。
とんでもない検査結果が出ても仕方がないと覚悟していたが、結果は不思議と良好だった。
特筆すべきは中性脂肪で、例年は正常値をやや上回る値だったのに、この時は正常値をやや下回るほどに減っていた。
もっとも、これはこの日だけだったようで、翌年の検査では元の数値に戻っていた。
—–
中央線の終電は三鷹止まり。
三鷹よりも東京駅寄りに住んでいる人が酔っ払って中央線に乗る時は、終電の2、3本前に乗るよりも、思い切って終電に乗ってしまうほうがリスクが少ないというのが、この時の教訓だった。