団鬼六さん逝去

団鬼六さんが5月6日に亡くなられた。享年79歳。

謹んでご冥福をお祈り致します

作家の団鬼六さん死去 SM題材の「花と蛇」、将棋愛好

将棋ペンクラブを創設したのは河口俊彦七段と東公平さんだが、 きっかけを作ったのは団鬼六さんだった。

団鬼六さんが主宰していた将棋ジャーナルで優秀観戦記に賞金を出す企画があり、受賞したのが河口七段と東さん。河口七段と東さんは、その受賞賞金を基金として将棋ペンクラブ大賞を始めることにしたのだった。

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将棋ペンクラブ会報に登場した団鬼六さんより。

2008年秋号の将棋ペンクラブ大賞功労賞受賞のことば。

功労賞、有り難く頂戴仕り候

将棋ペンクラブは今年、創立二十周年を記念して、特別賞の枠を大きくしたということである。そして、功労賞としての賞を貴殿に差し上げたいといってきた。将棋ペンクラブに対しては私はこれまで何一つ役立った事をしたことはない。また将棋界に対してもこれまでおちょくるような事をしたが貢献したことは何もない。それなのに何で功労賞が頂けるのかとはなはだ疑問に思われるのだが、ふと思い起こしてみるとその昔、将棋ペンクラブを何やらお祭り気分で作り上げたのは、棋士の河口俊彦と観戦記者の東公平、そしてデカダン作家の私との三人だった。

その三人が何でケツを割って将棋ペンクラブを投げ出してしまったのか、今となっては思い出せないし、そのあと湯川博士の尽力で将棋ペンクラブが再生し、今日まで寿命を保つ事になったのか、その経緯についてもくわしくは知らなかった。湯川博士のひたむきな情念によって将棋ペンクラブは存続しているのである。功労賞というものはむしろ私から湯川博士に捧げたいくらいだ。

私事であるが、現在、末期的腎不全に陥って週三回、人工透析に通って、辛うじて生命を維持している状態、それに二十年も連載を続けた近代将棋が今年の六月で廃刊となり、精神的にもがっくりしている状態で、そんな私を元気づけるため、ペンクラブは私に功労賞進呈となったらしいが、もしそうならいらざる斟酌である。

私も今年で七十七歳の喜寿。親しかった故・大山名人や故・升田名人よりも私のほうが年長になってしまったわけで、それを祝って将棋バカさ加減に対する功労賞の授与として受け取っておきたい。有難うございました。