じんわりとした哀感が絶妙な文章。
先崎学八段の2001年に刊行されたエッセイ集「フフフの歩」より。
一月の後半に函館へ行った。当地で行われていた将棋まつりに出演するためである。
函館へは夏の競馬競輪やら冬のスキーやらで何度も来ていて、土地鑑もそこそこある。裏将棋史に名高い中村さんと郷田の「点のある・ない論争」が起こったのも函館五稜郭のスナックである。
好きな土地で楽しい仕事というところだが、僕の気分は澱んでいた。数日前に順位戦を負けたからである。ここまで七連勝、レース展開にも恵まれ、あと一番勝てば昇級決定だった。三番連続である。できることなら一発ですっきり決めたかった。
将棋は完敗だった。
(中略)
得意なはずの終盤で完璧に競り負けたのはさすがにショックだった。終わってしばらくは鳩尾(みぞおち)のあたりに割り箸が一本詰まっているような感じだった。
重い気分は函館でも抜けなかった。頭が熱く微熱が感じられる。一部の神経が少しずつ反乱を起こしていた。こんな時は自然と無口になる。
控室でボーッとしていた。そこに奴はやってきた。
神吉登場。一瞬に場の空気が変わる。住宅街に歌舞伎町が混ざるようなものだ。
神吉さんだけ当日の朝入りである。スターは違いまんなあ。
「おう先チャン、元気しとったか、こっちは大変やで、昨日も五時まで六本木で飲んどってなあ、徹夜で飛行機はしんどいでえ、おう市ちゃん、相変わらず素敵やな、おうヒロエも素敵やで、寒いなあこっちは。ブルブルやで、おう和ちゃん、ちょっとデジカメ撮らしてな」
最新式のデジタルカメラで高橋さんにはいポーズなんていっているところへ二上会長が現れた。神吉さんの声がまた高くなった。
「これはこれは会長、お元気そうで何よりです。この神吉、将棋連盟のために、二上会長のために身を粉にして働かせて頂きます。函館といえば二上会長の出身地、ということは将棋連盟の直轄地、二上幕府の天領でございます。二上会長バンザーイ」
本当に手を挙げてバンザイをした。我々が呆気に取られていると津好きを喋り出した。
「この神吉、先崎とともに函館の夜の街を、二上会長とともにどこまでもお供致します。神戸では神戸の女、東京では東京の女、函館では函館の女、これが神吉のモットーでございます。地元の英雄、二上会長に今宵はどこまでも、なあ先チャン」
「はあ」
「ほなもう一度いくで、二上会長、バンザーイ」
「バンザーイ」
ついついつられてしまう自分が情けない。
思えばこの時からいつにも増してテンションが高かった。それは夜になっても持続した。そして、大変なことになっちゃったのである。
夕食は地元の海の幸づくしだった。カニ、カニ、カニ。大御馳走である。しかし、食っている場合ではなかった。
神吉、先崎の間に屋敷君が座る。屋敷君にとっては不運な席だった。あるいは神吉さんの計算だったのかもしれないが。
我々の目の前に、清水、中井、高橋の女流三人が座った。これも不運だった。
「まあ飲めや屋敷君、ほらぐっとぐっと」
「はあ」
「先チャン、美味いなあ、酒は。そう、我々がこうして飲めるのも」
「飲めるのも」僕が合いの手を入れる。もうヤケである。
「二上会長のお陰です。二上会長、バンザーイ、夜の街バンザーイ、きれいなネーチャンバンザーーイ」
場は完全に神吉色に染まっていた。神吉ワールド。そこは魅惑の世界。誘惑に満ち溢れた世界である。
我々があまりにも景気良く飲むのを見て、女流三人組も日本酒を飲み出した。
「先チャン、そろそろいくで、ジャンケンや」
ほらはじまった。これを恐れてたんだ。学生の飲み会じゃないんだから、と言おうとした瞬間延びた右手が恨めしい。
「あっそれ、最初はグー、じゃんけんポン」
神吉が負ける。バカー。次、僕が負ける。バカー。「次は屋敷君もやで」嫌がる屋敷君も神吉ワールドにおちていた。三人でパカパカ。バカである。
神吉軍の進軍はとどまることを知らない。
「ヒロエ、いくでえ、ほらジャンケン-」
「えー私はいいです、そんなに飲めないです」
「ほな、半分でいいで、ほら右手出して、ほら」
とにかく強引なんだ。これが。
中井さんがおちて、高橋さん清水さんも猪口でなら、ということで順におちた。
めちゃくちゃ。
じゃんけんの回数は十回や二十回ではきかなかったろう。島さんと森下さんが、目をまるくしていた。
ほうほうの体でお開きになった。しかし神吉の夜はおわらない。屋敷君はふらふらで帰り、女流三人もさすがに帰り、神吉、先崎が、二上会長の後にぞろぞろついた。
函館の道は凍っていた。神吉さんは三千円も出して靴にすべり止め加工したにもかかわらず、悪戦苦闘している。
「うわぁ、恐いなこれ、おい先チャン、よくそんなにすいすい歩けるなあ」
地元出身の二上会長はもちろん、僕も小学校の時札幌に住んでいたので慣れているのである。神吉さんはそろりそろりと歩く。それでも遂に転んだ。ずってーん。ああ、なんで僕はカメラを持っていなかったんだろう。
やっとのことで入ったスナックは、どうみても神吉好みではなかった。妙齢のというか、元・若い娘というか、がいっぱいいた。神吉さんの顔が失望でいっぱいになる。
会長の歌をニ、三曲聴いたところで、神吉さんがたまらず切り出した。
「先生、この店も大変ええ店ですけど、その、何ちゅうか、もっと、色んな店を、せっかく函館に来たんですから、楽しみたいんですが」
「よ、よく分かった。よしもう一軒いこう」
「よっ会長太っ腹、さすが我々の会長や。な、先チャンもそう思うやろ」
「いや、全くおっしゃる通り」
継ぎの店、入口の看板に大きく書いてあった。
「唄えて飲めて、将棋が指せるスナック」
ここで神吉さんの腰が抜けた。当夜の神吉さんは、ツイてなかった。
悄然としている神吉さんに切り出された。
「先チャンなぁ、順位戦、上るのやめとき」
「なんでや、変なこというなあ」
「あんな、B2にいったらB1にいきたくなるやろ、B1に昇ったらA級にいきたくなる。A級なんて上ったらしんどいでえ、あのメンバーで降級争いなんて大変やで。下のままで、酒飲んで楽しく暮らした方がええで、な、今からでも遅くない、やめとき」
僕はこれを、変則的なエールだと受けとった。そういう神吉さんだって楽には見えない。みんな大変なんだ。
「分かった、やめるよ」
「ほんまかいな」
「やめる。負けるのをやめるよ。やっぱり勝つことにする」
「そうか、まあ頑張ってな」
ラーメンで仕上げて帰り道、いやはや寒い寒い。神吉さんはデブのくせに寒さに弱いのである。
「うわあ、こらたまらんでっせ、おうさむ、会長、神吉はブルブルでっせ」
「酒、飲むと寒くなるんだよ。少し痩せられて丁度いいだろ」
「そんな殺生な、こんなに寒いとは思いませんでしたぜ。うわ、この辺りは一段と寒いですね」
会長の顔がニヤリとなった。
「神吉君、こ、ここは寒いはずだよ。ほら、う、うえ見てみ」
「はあ?」
先崎、神吉が上を見ると、ああ、そこには、
「山一證券」
の看板が・・・。
しばらく歩く。会長がまたニヤリと笑う。
「神吉君、もうすぐもっと寒くなるよ」
咄嗟に意味がおぼろげに分かった。顔を上げるとやっぱりあった。その文字が、目に飛び込んで来た。
「北海道拓殖銀行」
みんな大変なんだ。俺も頑張らなくっちゃ。
ふと見ると、神吉さんも同じことを考えていたのか、珍しく口を開かず、トボトボと歩いていた。
—–
山一證券と北海道拓殖銀行が倒産したのは1997年。
同じ年に経営破綻した三洋証券も含めて、本社および東京本部が三社とも永代通りにあったので、中国人の風水師などは”倒産通り”と呼んでいたという話もあったほどだ。
その後の1999年には、永代通りにあった東急百貨店日本橋店も閉鎖されており、20世紀末の永代通りは散々な目に遭うことになる。
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妙齢の女性ばかりがいるスナック。
さすがにそのような店は行ったことがないな、と思っていたが、(今はなくなってしまったが)5年ほど前まで通っていた店は、一人だけが30代後半でそれ以外の女性は皆40代だったことに気がついた。見た目が若い子ばかりだったのでそのようなことはリアルタイムでは意識しなかったのだ。
そう考えると、妙齢の女性ばかりがいる店も悪くないなと思う。