近代将棋2002年5月号、「山田久美のおしゃべり対局 第16回ゲスト 八木下征男さん」より。構成は大矢順正さん。
八木下征男さんは、羽生善治二冠が少年時代に通い続けた八王子将棋クラブを経営している。
—–
山田「ところで羽生さんはどんな少年でしたか?」
八木下「おっとりした感じです。阿久津君は、逆に頼りになる兄貴分といった感じでしたね」
八木下「そうそう。一時話題になりました『羽生にらみ』は、小さいころから癖はありましたね」
山田「え~、そうですか。三つ子の魂百までもですね」
八木下「だれにもそうした仕種はあるんです。自分が指した手の反応を見るという意味で」
山田「そうですね。自信がなくて、相手の顔色をうかがう場合と『どうだ参ったか』って感じもある(笑い)」声には出しませんけど。羽生さんは人気者だったでしょうね?」
八木下「強くなってからのことですが、『羽生争奪戦』がありました。あるとき3人一組の団体戦の将棋大会がありました。そのときみんな自分のチームに羽生さんを入れたくて争奪戦になったのです。そしてあるチームが羽生さんを獲得して『優勝間違いなし』と思ったのですが、当日、待てど暮らせど羽生さんが対局開始時間になってもこない。急遽、他の人を入れて戦いました。羽生争奪戦に敗れたチームは、『してやったり』と溜飲を下げたようでした」
山田「えッ?じゃあ羽生さんはどうしたのですか」
八木下「じつは、私が自宅に電話を入れたら、大会を忘れて旅行に行っていたんです(笑い)」
山田「へ~ッ、羽生さんにもそういうところがあったんだ。子どもらしくていいな(笑い)」
八木下「いまの話は初めて話しました。七冠達成後に多くの人が来て、いろいろな話をしました。取材ではなく、一般の人も羽生さんの話を聞かせてくれって(笑い)」
(以下略)
—–
羽生少年でもこのようなことがあったのかと、新鮮な驚きを感じてしまう。
完全無欠よりも、このようなことがあった方が素敵だ。
→羽生少年