今年を振り返る(多く読まれた記事編)

2011年、トップページ以外で多く読まれた記事TOP30プラスα。

1位 羽生善治名人が語る藤井システム

2位 森内俊之八段-伊奈めぐみさん戦

3位 「封じ手事件」の真相

4位 故・村山聖九段が語る羽生善治名人と森内俊之九段

5位 深浦康市六段「「丸山忠久という男」

6位 :熊倉紫野女流初段のブログ

7位 羽生名人が語るカニカニ銀

8位 鈴木大介八段の涙

9位 「銀杏記者vs蝶結記者」観戦記

10位 藤井猛九段の少年時代

11位 点のある・ない論争

12位 千駄ヶ谷みろく庵「銀ダラ定食」

13位 羽生善治名人の感動的な言葉

14位 1997年、郷田真隆六段

15位 入籍ラッシュ

16位 香港夜総会

17位 加藤桃子1級

18位 名人戦第6局対局場「天童ホテル」

19位 「島研」の罰金制度

20位 リコー杯女流王座戦の林葉直子さん

21位 石田流の悲劇(前編)

22位 マイナビ女子オープンチャレンジマッチ出場選手2011

23位 「一人で行って・・・」

24位 郷田真隆六段(当時)の「長考意味にゃ~い!」

25位 車の中の感想戦

26位 藤井猛竜王誕生の一局

27位 「森内君を連れて来てもいいですか?」

28位 西落合 香港 力道山

29位 「いや、それはちょっと・・・」

30位 王位戦第7局対局場「陣屋」

31位 愛すべき勝浦修九段(1)

32位 窪田義行六段に聞く

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それでは皆様、よいお年を。

寒さを吹き飛ばすような話

寒い日が続く。

今日は、寒さを吹き飛ばすような話を。

将棋マガジン1995年10月号、鹿野圭生女流初段(当時)の「タマの目」より。

☆暑さボケ

矢倉四段「あれ、切符どこにやったっけ」

畠山(鎮)五段「あ、俺もや」

タマ「もう、皆、今日暑いからボケてるなあ。回数券でまとまって入ったから、脇先生が持ってくれてるんやんか」

脇七段「はい、ここで、降りるよぉ、皆、ちゃんと降りてるかあ」

神崎六段「降りてますけど、脇先生荷物、忘れてますよ」

脇「あっ!!」

 野球部での移動中の一コマ。みんな暑さでボケて来ているようだ。

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一人が皆の切符を持って乗降する、これは自動改札機が現れる前はよくある光景だった。

改札を振り切って逃げる犯人を刑事が追いかける際、昭和の刑事ドラマでは、刑事は走りながらも警察手帳を改札に提示していた。平成の刑事ドラマでは自動改札を飛び越える危険な技が必要となっている。

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今日が金融機関を中心とした御用納めなので、日本中のほとんどの御用納めは今日までに終わることになる。

昭和の頃は、12月29日が御用納めで1月4日が御用始めだった会社が多かったと思う。

29日の15:00頃から、業務に特に支障がなければ、各部署が社内で開催する打ち上げ((納会)に参加する。気持ちよく飲んで、他の部署にも回る。もっと気持ちよくなって夜の街に繰り出す、というパターン。

御用始めは、社長の年頭訓示を聞いて、あとは各部署で飲んで、昼前には終了。

このような年初なので、和服を着てくる女性社員も多かった。

ところが平成になると、1月4日は休みにしてしまったほうが合理的だという趨勢から、4日は休みになる代わりにに、5日は朝一番の社長訓示の後は通常業務。

味気ないような、休みが1日増えて嬉しいような、微妙な思いになった平成初期だった。

しのぎの井上

近代将棋1997年6月号付録、「初めての棋戦優勝シリーズ 羽生善治四段初優勝編」、鈴木宏彦さんの1986年の第10回若獅子戦「羽生善治四段-中田功四段戦」の観戦記より。

 ちょっと話は飛ぶが、新若獅子となった井上慶太四段につけたニックネーム「しのぎの井上」というの、どうですか皆さん。似合うと思うでしょ。

 筆者、最近仕事で大阪に行ってきたが、関西将棋会館ではすでにこのニックネームが流行のきざしを見せていた。神吉四段など、井上四段をつかまえて「おい慶太、よかったのぉ、いい名前がついて。しめじの井上言うんかい。しめじ言うたら、味はええけど歯ごたえはない言う意味やろなあ」

違うちゅうに。しめじやのうて、しのぎやで、しのぎ。えらい違いや、まったく。

(以下略)

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”しのぎ”を”しめじ”にしてしまう、この強引さ。

でも、うまいことを言っている。

”しのび”のように1文字違いで3文字の母音の並びが同じとか、”したぎ”のように1文字違いが筋と思うのだが、このような理屈や概念を超越するのが関西流のノリなのだろう。

とても勉強になる。

深い言葉

将棋マガジン1995年9月号、鹿野圭生女流初段(当時)の「タマの目」より。

☆兄弟弟子(対局終了後)

内藤九段「淡路君、もう帰るんか?」

淡路八段「はい」

内藤「ほな、一緒に帰ろう」

淡路「はい。でも先生、雨がだいぶ降ってますよ」

内藤「・・・・・・雨が降っとっても家には帰らなあかんやろ」

(一同爆笑)

 その数分後、将棋連盟の前でタクシーを止める淡路先生の姿があった。

 内藤先生は軒で雨やどりしているのだろう。弟弟子はつらい・・・。

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将棋マガジン1996年1月号、鹿野圭生女流初段(当時)の「タマの目」より。

☆チャレンジ

下野二段「テレビで見たんですけど羽生先生って畠田理恵さんに猛チャージかけたんですね。電話とかで」

淡路八段「かけんと始まらんやろ」

タマ「おお―、淡路先生、その言葉深いですね」

淡路「そら、そや。なんでもやってみん事には、どうにもならんやろ。将棋かて、どんだけ悪うてもずーっと指している内に、おかしなってくる事もあるんやから、なんでもやってみんとあかんで」

下野・タマ「ウーム、深い」

(確か淡路先生も奥さんと結婚される時は・・・)

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「雨が降っとっても家には帰らなあかんやろ」も「(猛チャージを)かけんと始まらんやろ」も、考えてみれば当たり前のことなのだが、言われてみると名言に聞こえてしまう。

この辺が、間(ま)と呼吸の妙なのだろう。

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「かけんと始まらんやろ」と同じような意味で、「やらずに後悔するより、やって後悔した方がまし」、「宝くじも買わなければ当たらない」という言葉が昔からある。

一方、正反対ではないものの、やや逆の意味の「出る杭は打たれる」、「雉も鳴かずば撃たれまい」という言葉もある。

いろいろな角度や立場での言葉が様々あるから面白いのだと思う。

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弘法大師関連には、「弘法筆を選ばず」と「弘法も筆の誤り」のことわざが存在する。

阿刀田高さんの著書に、「弘法は筆を選ばないから、筆を誤る」とあって、素晴らしい発想だと感じたことがあった。

中田功奨励会員の下宿

近代将棋1997年6月号付録、「初めての棋戦優勝シリーズ 羽生善治四段初優勝編」、鈴木宏彦さんの1986年の第10回若獅子戦「羽生善治四段-中田功四段戦」の観戦記より。

 中田功四段。大山十五世名人門下、福岡県出身。昭和四十二年七月二十七日生まれ、十九歳。

 大山十五世名人は有吉九段のあと、ずっと弟子は取らなかったのだが、三十年ぶりに弟子を取ることになったのは、中田と中田のお父さんの熱心さに負けたということらしい。(ちなみに有吉九段と中田の誕生日は、七月二十七日で完璧に同じ)

 中田と大山十五世名人の仲介をしたのが、他ならぬ本誌社長の永井英明氏。その縁あって中田は奨励会時代ずっと、永井氏の実家(すなわち、本誌編集部があり、永井氏のお母さんが生まれている)に下宿していた。本誌編集部のNさんやKさんは、当然中田の奨励会時代の行状には詳しいわけだが、それによると「このくらい遊んでて、四段になれた男も珍しい」ということだ。

 もっとも本人は「あれは、うそ、ボクみたいに真面目な奨励会員はいませんでした」という。どっちが本当かは分からないが(本当は分かってるけど)、とにかく相当な才能の持ち主であるのは確かだろう。

(以下略)

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永井英明さんは大山康晴十五世名人からの信頼が非常に厚かった。

ここに出てくるNさんは中野隆義さん(後の近代将棋編集長)、Kさんは甲斐栄次さん(甲斐智美女流王位のお父さん)なのではないかと思う。

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下宿で思い出す話。

刺身も焼き魚も煮魚も食べられない(大嫌い)という人がいた。

この人は名古屋の出身で大学は北海道だった。

理由を聞くと「賄い付きの下宿で、毎日毎日4年間、魚料理ばかりが出てきて、魚は元々嫌いではなかったのですが、さすがに見るのもイヤになってしまいました」。

私はカレーライスが大好きだし、一週間カレーを食べ続けても大丈夫だが、4年間カレーライスが続いたら、さすがに人生観が変わってしまうだろう。

4年間、魚料理を出し続けた札幌の下宿、すごいと思った。