羽生善治棋王(当時)「いやー、信じられません」

将棋マガジン1991年7月号、林葉直子女流名人(当時)の「私の愛する棋士達 第7回 羽生善治棋王の巻」より。

 さて、スナックの話に戻ろうか。

 けっきょく私達二人して20分ほど待ったあと、あまりにも遅すぎるしこれ以上、外にいたら風邪をひいてしまうと判断しビルの二階にあるそのスナックへと向かった。

 「まさか、先に来てるってことはないよねー」

 階段を昇りながら私がそういうと

 「さすがにそれは・・・ありえないでしょう」

 羽生くんは、外で冷えきった手をもみ温めながら静かにそう言った。

 「そうよねぇ、私達の車が先に走ってたんだもの」

 私は彼の言葉に納得しながら、目的のスナックの扉を力なく押した・・・。

 水割りのグラスにカランカランと小気味のよい音を立てて氷をかき回しているママさんが、

 「あらー、待ってたのよ」

 私と羽生くんを見るなり大声を出して歩み寄ってきた。

 当然、それは予測していたことである。

 は、そんなママさんとは対照的に背を向けたまま首だけをこっちに捻ってる見覚えのある顔が三つ。

 なんと、彼等は先に店に着いていたのである。

 しかもグラスを片手に頬はほんのりと赤味をおびているではないか。

 その三人は口を揃えたかのように

 「遅かったねー」

 と・・・・・・。

 その言葉を聞き私は思わず叫んでしまった。

 「ひどーい、ずっと外で待ってたんだよ」

 それに相槌を打ちながら羽生くんはひと言。

 「いやー、信じられません」

 待ってたなんて思わなかった、と彼等は平謝り。

 先に出発した私達は当然そのスナックにいると思ったらしい。

 そうだったのか、と納得しつつ羽生くんと私は苦笑い。

 それを見て誰かが言った。

 「でも直子ちゃん、ずっと羽生くんと一緒にいれて、かえってよかったんじゃないの」

 そーか。よく考えてみればそうだったのである。

 急にニコニコ笑い嬉しそうな顔で

 「そうだったのよね」

 という私を不気味そうにしてカウンターの前のイスに手をかけた羽生くんは左右に頭を振りながら、

 「はぁ、意味ないです」

 と、ひと言。

 (どういうことかしら?)

 しかし、怪我の功名というべきか、この待ちぼうけのおかげで私は羽生くんと隣に座ることができ、しかもデュエットまでしてもらった。

 たしか”男と女のはしご酒”だった。

 少し照れながら、はにかむような表情を思い出す。

 普段、なかなか一緒に呑みに行く機会に恵まれないので、これは貴重な経験である。

 しかし、何よりも感激したのは、やはり寒空の中で一緒に待っていてくれたことだ。

 「いえ、私も待ちます」

 なんて・・・[E:heart01] 嬉しいではないか。

 けっきょく無駄な待ち時間ではあったのだが、このとき私は彼の人柄に触れることができた。

 好きでもない私の側に!? いてくれたのである。

 (側とはいっても、なぜか3mぐらい離れてた)

 ちょっとしたエピソードではあるが、彼の性格が窺えるような気がする。

 将棋は強いし、ルックスもよくやさしい彼にこれからは、更に女性ファンが増えることだろう。

 その要となって、これからも将棋界で暴れまくってほしい。

 まだ20歳ですもの、恋だの愛だのお預けで―。

 イザとなったら、きっと売れ残っているであろう、この私(・・・これ以上書くと羽生くんにニラまれるだろうからやめときます)

 私の愛する羽生先生、これからも更に名局を生み出していただきたい。

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「男と女のはしご酒」は、武田鉄矢さんと芦川よしみさんによる1987年のヒット曲。

男はあなた「ひろし」

女は君さ「ゆうこ」

のような歌詞が入る歌だ。

私はこの曲を歌ったことはないが、たまに、デュエットしている人の実名を入れたりする場合がある。

あした順子・ひろしさんの持ちネタでもある。

林葉さんの「なおこ」は3文字なので歌詞にもはまるが、「よしはる」だと4文字になって歌詞にはめこむのは難しい。

A級以上の棋士でいえば、同様に、「としゆき」、「ひろゆき」、「まさたか」、「やすみつ」、「のぶゆき」、「こういち」、「としあき」などは、難しい。

「アキラ」、「コージ」、「ヒサシ」は大丈夫。

私は「みちひろ」なのでダメ・・・