林葉直子「私の愛する棋士達 第1回 大山康晴十五世名人の巻」

現代の”観る将棋ファン”に大歓迎されるような記事が、1990年~1991年の将棋マガジンに連載されていた。

将棋マガジン1991年1月号、林葉直子女流王将(当時)の「私の愛する棋士達 第1回 大山康晴十五世名人の巻」より。林葉女流王将の渾身の文章。

 どこのオジさんかと思った。

 今年の四月、青森県百石町で行われた女流王将戦第一局の行われる前日のことだ。

 そのときの挑戦者山田久美二段と私は揃って対局場の下見に行った。

 大山記念館の脇にあるという、対局室に・・・。

 階段を上がり30mほど歩いたぐらいだったか、対局室を目前にして私たちは立ち止まった。

 腰を低く屈めて、赤い絨毯を一生懸命しいてくれている人がいたからだ。

 対局者が気持ち良く将棋を指せるようにとの、見栄えを考えての心憎い演出であろう。

「どうもスミマセン」

 私達二人は、そのオジさんの後ろ姿に向かって声を掛けた。

 地元関係者の人かと思っていたからである。

 しかし、その直後に私と久美ちゃんは顔を見合わせた。

 よく見ると、見覚えのある後ろ姿だったからである。

 あれは、もしや―

 あのちょっと明るい頭は・・・。

 私と久美ちゃんは絶叫した。

「大山先生っ!!」

 とんでもない話である。

 将棋界の首領、あの大山十五世名人が我々のために足場を作って下さっていたのだ……。

 オロオロと立ちつくす久美ちゃんと私に、赤い絨毯をしき終え立ち上がった大山十五世名人は、ニコリと微笑みながら、

「ね、このほうがいいでしょ」

 と、さらりとおっしゃったのであった―。

 その日の出来事に、私と久美ちゃんは興奮し、翌日が対局だというのに”大山話”に花を咲かせた。

「やさしいよネ、大山先生って・・・」

「天才、偉い人物!って思っていて近寄り難い感じがあるのだけど、実は、そうじゃない」

「そうなのよねぇ、以前そういえばこんなこともあったのよ・・・」

 久美ちゃんは、大きな瞳を輝かせながら私に言った。

 ご記憶の方もいらっしゃろうが、(忘れてほしいのだが)私と久美ちゃんは、ちょっとだけお互いに違う雑誌ではあったが、肌を露出したことがある。人のいい!? 久美ちゃんと私は、強引な手段に断りきれなかったというのが事実なのだが、そのときの周りの反応はスゴかった。

「もっと脱げばよかったのに」と言われたのは、ごく少数で(当たり前)

「女子プロがけしからん!」

 と私たちは非難を浴びた。

 当然のことであるし、断りきれなかった私たちが悪いのだ。

「あの頃、会う人ごとに、チャカされたり、怒られたり、大変だったよね。なんか元気でなくて落ち込んじゃって……、そう、ちょうどその時期だったかな、大山先生と一緒の仕事があったの。

 当時、大山先生は会長だったし、絶対に写真のことを叱られると思ったわけ…」

 ポツリポツリと懐かしげに話す久美ちゃん。

 その久美ちゃんの表情を見てると何か良いことを大山先生に言われたという感じである。

 私はギョッとして訊いた。

「まさか、大山先生に”なかなかいい写真だった”って言われたわけじゃないでしょうね」

 突然の私の大ボケ質問にお腹を抱えて笑い転げる。

「バカネ、いくらなんでも大山先生がそんなこと言うわけないでしょ」

「そりゃそうだけど、久美ちゃんが妙に嬉しそうな顔して話するから誤解したのよ」

 私にそう思わせる程の笑顔で愉しそうにする久美ちゃん。

 さらに話を続けた。

「指導対局を終えた私と大山先生で喫茶店に入ったの。そしたらね、マズイことに、そのお店の中の目立つところに、あの写真が載ったフライデーがあるじゃない。ビックリしてたらウェイトレスさんにジュースを頼み終えた大山先生がサッと席を立ちツカツカとその雑誌やらを置いているところに歩いていったの。

 フライデーを持ってきて、私の写真を目の前で見られたらどうしようって、冷や汗かくし、もう心臓もドキドキして、頼んだジュースでこれ幸いにと、ストローで飲むふりして頭を下げてた……。

 そしたらね、大山先生が戻ってきて、テーブルの上に何か雑誌をポン、と置いたの。

 あー、もうだめだと思って、必死に目をギュッと瞑っていたの。

 そしたら、やっぱり、

『ねぇ、山田さん』

 と大山先生の声がするじゃない。

 ハッとしてテーブルの上にある本を見たの。

 そしたらね、違っていたのよ」

 ここまで話して、クスッとまた愉し気に私に向かって満面に笑みを見せる彼女。じれっ  

たい・・・。

「なに? 何が違ったの?」

「雑誌が違うし、何も写真のことに触れなかったの。それがね、オカシイのよ、大山先生ってば、お菓子の本を持ってきてたのよ」

「えー、ほんとに?」

 私は跳び上がらんばかりに驚いてしまった。大山先生が?

 そんな私を見て久美ちゃんは手を左右に動かしながら、

「違うのよ。私のために持ってきてくれたみたいなの。それでね、テーブルに置いた本をパラパラッとめくり、おいしそうなクッキーを指差して、大山先生が

『うちの孫はね、こういうの作ってくれるよ。あなたは作らないの? たまには作ってみたらどう?』

 って言ってくれて・・・・・・」

 久美ちゃんがなぜ嬉しそうにして話するか、やっと理解できた。

 山田久美の大山自慢話を聞かされ私は思わず、

「大山先生って、可愛いいっ!」

 と口にしてしまった。

 正味一時間ほどになったか、対局前日にそのときの立会人である大山十五世名人の話を対戦相手と延々としてしまったのであった。

 普通のオジさんではない大山先生の話は尽きることはないであろう。

 将棋の対局をなさっているときの勇々しき姿、超人大山康晴十五世名人、女流プロになりたての頃は、大山先生の魅力に気付かなかった私だが、今は、大山将棋の懐の深さと大山康晴に惚れてしまったのである。

 将棋界に憧れていた私が今、女流プロとして10年目に突入。

 少しずつ色んな部分で、心に余裕ができたのか、少しだけ大人になれたのだろう。今が一番充実しているような気がする。

 そして棋士が大好きである。

 将棋界に存在できて、私は幸せだとつくづく思う今日この頃だ。

 将棋ファンならば、泣いて喜ぶような先生方とお食事できたり、話をしたりすることができるのである。

 やはり仕事で大山先生とご一緒させていただいたときに私も将棋ファンの人と同じようにドキドキした。

 関係者の方々への気配りの素晴らしさ。大山十五世名人一流のジョーク混じりの気さくな言動。

 私は大山先生の傍らにいながら感激しっぱなしだったのだ。

 東奔西走して将棋会館を建て、将棋ファンの幅を広げて下さったお方で将棋界の伝説の人だ。

 67歳というご高齢にしてなおA級。超一流の勝負師なのである。

 先日、文化功労者に選ばれた大山康晴十五世名人。

 私は、テレビで偶然見たのだが、思わずブラウン管に映る大山先生に向かって拍手を送った。

 後日、新聞の天声人語等のコラム大山先生のコメントが載っていた。

「勝負師の世界といった印象の強い将棋が、文化として認められたのが何よりもうれしい」と。

 味わい深い人生、数多くの苦労、そしてどれだけ将棋を愛しているかというのが、この言葉に含まれているのではないか。

 この記事を読み終えたとき、私は目に涙を浮かべていた。

 大山十五世名人なしでは、今の将棋界は全く別のものになっていただろう。

 おめでとうございます。

 有難うございます。

 大山先生に向かって何度も言わなければならない言葉かもしれない。

 ちょっとオーバーかもしれないが、大山十五世名人のためなら、

”たとえ火の中、水の中”

 というのが今の心境である。

 以前、大山先生の知人に私が、

「大山先生の大ファンなんですが、ファンの人と同じ感覚で、緊張しておしゃべりできないんです」

 チラリと洩らしたところ、その知人の方が大山先生に伝えておいてくれたのだろう、後日仕事で同席したときに、さりげなく、

「林葉さん、何かあったら、話しなさいよ」

 と言ってくれたのだ。

 単に”大山先生とおしゃべりしたい”というミーハー的な気持ちの私の発言を、大山先生は真剣に受けとめて下さっていたのである。

 大山ファンの私にとっては夢のような話である。

 私は、これからもっともっと大山自慢話を増やしたいと思う。

 それは私の最高の宝になるハズだ。

 だから大山先生には無理をしない程度にがんばってほしい。

 素晴らしい将棋、生き方、これからもまだまだ、私たちに見せつけてくれるはずである。

「ご苦労さまでした」

 と言う日は、まだまだ遠いと信じている―。

 私の愛する大山康晴十五世名人よ。

      

直子の大山康晴分析

〔特徴〕

「~なさいよ」語尾に”よ”と付け、少しだけ早口でお話するのが大山流。

〔性格〕

 ちょっとせっかちで、ジッとしているのは、将棋を指しているときでは?

 仕事はテキパキと秒単位でこなす。

 明るく、気さくで単純!? な性格。

 さっぱりしている。ファンを大事にする。

〔趣味〕

 マージャンが大好き。

 ゴルフは以前よくやっていた。

 仕事も趣味の分野に入るのかも。

〔棋風〕

 若かりし頃は、居飛車党であった。

 最近は、四間飛車が一番多い。三間飛車もお好きのよう。

 しかし、大山将棋のマネは難しい。

(以下略)

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昨日は、故・大山康晴十五世名人の誕生日。

林葉さんが15年振りに復活した一昨年の日レスインビテーションカップ 中倉彰子女流初段-林葉直子さん戦。林葉さんが対局で使っていた扇子は、大山康晴十五世名人の「夢」だった。

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大山康晴十五世名人の「林葉さん、何かあったら、話しなさいよ」。

涙が出るほど頼もしい言葉だ。

大山十五世名人が亡くなるのは、この原稿が書かれた1年8ヵ月後のこと。

大山十五世名人がもっと長く生きていたら、林葉さんの将棋人生は、もっと違うものになっていたかもしれない。

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将棋マガジン1991年3月号、中島一彰編集長の編集後記より。

「林葉さん、もう、起きなさいよ」

「ちょっとこれを聴いてみて下さい」とっても嬉しそうに、大きな瞳を輝かせながら、林葉直子女流王将から手渡されたテープには、こんなモーニングコールが吹き込まれていました。

 寝坊助の直子姫、「困ったことがあったら、何でも私に話しなさいよ」と言うその声の主に、特別にお願いして吹き込んでもらったそうです。姫の「大山自慢話」が、またひとつ増えたようです。

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