将棋マガジン1992年12月号、鈴木輝彦七段(当時)の「方丈盤記」より。
最後はプロの負けた時の過ごし方を書いてみたいと思う。
よく「負ける30分前には気持ちの整理をつけているから投げる時はそれ程でもない」と言われているが、果たしてそうだろうか。
辛い気持ちの波としては低い位置にきているとは思うが、そんなに割り切れる訳ではないだろう。フツフツといつ大火になってもおかしくない残りの火が燃えている状態と言ったら分かり易いだろうか。
一週間に一局の対局であれば、その日のために一週間を使っている。それほどまでに時間と神経を遣って負けた気持ちは言いようがない。
その情けなさ、ぶつけようのない怒りでやり切れない気持ちになる。
二、三年前までは、なかなか家に帰る気になれず、朝まで痛飲するのは普通で、順位戦に負けた時には待っていた泉君と二人、夜中の2時過ぎに野本先輩を呼びだして麻雀を打ったこともある。
酒を飲み麻雀をすれば気持ちも多少癒えるのかといえばそうでもない。全く身体に悪いしバカバカしいが、そうでもしないとやってられないのだ。正に「俺たちに明日はない」の心境になっていた。
(中略)
いつか、負けた時でも全く変わらないので、「流石ですね」と中原名人に言った事がある。
「いや、そうでもないんだ」は意外だったが、誰も免れないプロの定めなんだと思ったものだった。
いつも勝っているからといって負けた時が大した事ないとはいかないようだ。
常勝といわれた木村十四世名人の言葉に「将棋に負けたら、酒を飲んで女の膝枕」がある。
少年の頃に聞いた時は何も判らず羨ましいなと思ったが、きつい勝負を闘い抜く処世術だったのだと今になって判る。
(中略)
風呂でも浴びてさっぱりし「お疲れ様でした」と日本酒でもついでもらって眠くなるまでお酒を飲んで膝枕で寝る。いい、実にいい。これなら早く負けて帰りたくなるだろう。
少なくとも徹夜麻雀よりはずっといい。次の日も気持ちのいい目覚めで「さあ、やるぞ」となるに違いない。
負けた時の過ごし方がそのまま健康と関係があるような気もする。
昔の棋士は負けると二日くらい連盟で麻雀を打ってから帰る人もいたし、酒を飲み過ぎて廊下で寝ていた先生もいた。
そうした名物の先生方は皆長生きされなかったようだ。自分を傷つけながら身も心もボロボロにしてしまったのかもしれない。
(中略)
図は今期王座戦第三局の投了図。比較的投げっぷりのいい福崎君が、詰みまで指していたのが印象的だ。
森(けい二九段)さんが棋聖を取られた時に「お金はいらないからタイトルを取らないでくれ」と言っていたのを思い出す。
並棋士には贅沢過ぎる程の頂上決戦ではあるが、それゆえに辛さも大きいという事もあるだろう。
谷川さんに竜王を取られた時の羽生君の顔も忘れられない。朝まで小林(健)八段と”チンチロリン”をやっていたが、時折放心したような表情を見せていた。
翌日は両対局者(福崎・羽生)と共に岐阜城に登った。晴れ渡った天守閣までくると「ここで指したら良かったな」と福崎君が言った。「そんな事言っても」と言おうとして言葉を飲み込んだ。何だか胸がしめつけられるようだった。
「天野宗歩は本当に強かったんでしょうかね。棋譜だけ見ても感想戦聞かんと」とまたしても返事に困る事を聞いてきた。
「相手が弱ければ誰でも強く見えますからね」に「それはそうだね」とやっと返事ができた。
戦国時代の風景を見て少しずつ気持ちも晴れてくるだろう。今はそう思うしかないと自分にも言い聞かせていた。
「負けて強くなる」は本当なのかなと思ったりするが、「敗局は厳しき恩師なり」はその通りだと思う。
(以下略)
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福崎文吾王座に羽生善治棋王が挑んだこの年の王座戦、羽生棋王が3連勝で王座を奪取した。
上の投了図は、羽生王座19連覇の始まりの瞬間だった。
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野球やサッカーなどの場合は、一方のチームのみを応援するわけなので、応援しているチームが勝った時は負けた相手のことなどはあまり考えない。
将棋の場合は、両対局者とも好きな棋士ということが多いと思うので、将棋ファンは勝者、敗者両方の気持ちを考えることになる。
ファン心理として、このようなところが、野球などのスポーツと将棋・囲碁の大きな違いのような感じがする。
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バトルロイヤル風間さんのブログで”広島の将棋ファンリクエスト似顔絵シリーズ”が久し振りに発表された。
タイトルが移動するということは、本当に明暗が分かれる。
そのような雰囲気が濃厚に描かれている。