「ウシ」「デビル」の名付け親、など

元・近代将棋編集長の中野隆義さんから貴重なコメント(エピソード)をいただいた。

谷川浩司王将(当時)「牛?なんですかそれ」 へのコメント

>森内「昔、トランプでひどい手をやったんです。それでウシみたいな手だと言われて……」

>カードゲームをやったおかげで、長い間の渾名がついてしまった棋士は他にもいる。

>中田宏樹八段の「デビル」。

ウシもデビルも、名付けの親は植山悦行流だと思いまする。
植さんは、あだ名を付ける名人でして、中井広恵流を「ひろべえ」と呼んでいたのを聞いて、男よりも男らしい一面がある広恵流にまさにピッタリの銘々だなあと感心しまくったことがありました。

ひどい手のことは、関東でもブタの手と言いますし、ウシの手という言い方自体はどの地方にもないんじゃないかと思いますが、森内流の場合はやはりというかなんというか、まあ、とにかく、ウシの手と言った方がしっくりする感じがあります。

デビル流とは何度かマージャンを打ったことがあります。彼は小さい手では上がりたがらず、手を育てるのがとても好きな打ち手でありましたですね。ですから、上がるとエラク高い訳でして、振り込んでぎゃふんとなっている人にとっては、大役を成就したデビル流の口が耳元まで裂けんばかりの歓喜の表情は、まさしくデビルそのものであったのです。

植山悦行七段邸には、多くの若手棋士が遊びに行っていた。

1995年の近代将棋にも、植山悦行六段・中井広恵女流五段の家で、ある日、森内八段がコタツで、阿部六段が押入れの中で寝ていたことが書かれている。

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夕食休憩時、盤を挟んでの談笑 へのコメント。

森内流が四段になって間もない頃だったかと思うんですが、将棋連盟の四階エレベータホールにある俗称老人席にてたばこをプカリと吹かしておりましたら、エレベータ脇にある細長あーいガラス窓から、先崎流、羽生流、森内流が連れだって出て行くのが見えまして、ありゃりゃ、確か今日はその三人のうちの二人が対局者同士であったよなー、なして夕食休憩に一緒に行くのかなー、と思い切り不思議になっちゃったことがありました。気がついたら、私めは三人を尾行して連盟近くのとある洋食屋さんに入っていました。店の端っこの方でとりあえず当日のおすすめメニューを頼んでひっそりとしていたのですが、めざとい先崎流にたちまち見つかりまして、「おや、中野さんじゃありませんか。今日はまたどうしてこの店に。ははあ、さすがに鼻がききますねえ。どうして対局者同士が一緒に仲良く食事なんかするのかと思って確かめに来たんでしょ」と、言われて、いや、あの、その、ま、ぐーぜんですよ、としどろもどろになったことがありました。ストーカーして分かったことは、本当に、彼らは仲がいいんだということでした。

連盟の近くにある洋食店というと「東京厨房」だが、森内名人が四段になった1987年頃にはまだ店がなかったので、「サト」であったと思われる。

羽生世代の強さの秘密の一端を知ったような感じがする。