行方尚史三段(当時)「もし奨励会を退会するようなことになれば、ぼくは死ぬ以外に無い」

将棋マガジン1992年10月号、奥山紅樹さんの「ロールスロイスは目にしみるか? 昨今奨励会事情」より。

 行方尚史(18歳、大山門下)三段。入会6年目。青森県出身。テーラー(洋服仕立て)家業の四人兄弟の長男。

 小学六年生の年の10月、奨励会試験に合格。

 周囲から「プロになる子だ・・・」の期待を受け、自分で子ども心に「この道でおれは世に出る」と予感した。親は反対したが「どうしても将棋のプロになりたい」とがんばった。

 小学校卒業と同時に、親に入会金を出してもらい、単身上京。東京・杉並区のアパート一室で、公立中学に通いながら奨励会員の生活が始まった。アパートの部屋のそうじを手抜きしているうち不潔がたたり、繁殖したダニを吸い込み、ぜんそくになった。

 三段になったのは昨年17歳で。三段リーグに入るまでは「すぐに四段になれる」と思っていた。が、3勝11敗。先輩三段陣が鬼のように強く思えるこのごろである。

「アパートの家賃は親に出してもらっているが、『二十歳になるまでだよ』とクギを刺されている。親の苦労を見ると、当然だと思う。家賃を除いた一ヵ月の生活費は8万円。・・・会社の将棋部の仕事、団鬼六先生のけいこ、将棋まつりの要員などをこなし8万円をかせぐ・・・記録は月4局平均。金が無くなると、サンマの缶詰を買ってきて、ごはんに添えて、それでしのぐ。缶切りでカンを開いたところで実家に電話し、小さな声で送金をたのみます(笑い)」

「来期の三段リーグは総員32名という史上空前の大人数・・・手合表を見ているだけでも気が遠くなりそう。リーグ戦は半年に一期なので、もし緒戦に4連敗でもしようものなら、その半年を棒に振ることになる。時々・・・三段のまま退会するハメになるんじゃないかと、恐怖に駆られる。もし奨励会を退会するようなことになれば、ぼくは死ぬ以外に無い・・・四段にもなれず故郷に帰るわけにはいきません。退会イコール『死』です」

   

 退会イコール「死」を意味する。大根おろしにかけられる大根おろしのように、みずみずしいところがすり減っていく。きこ、きこ、きことサンマ缶詰のふたを切ったところで、実家に送金をたのむ。手合表を見ているだけで気が遠くなる。一日二千円で切り抜けるのは苦しい・・・。

 生真面目な表情で、こもごも奨励会員の生活と青春を語る両三段の言葉を聞いていると、観戦記者の胸が詰まってくる。

(以下略)

—–

中学1年からの一人暮らし、想像を超えるほどの大変さだったと思う。

行方尚史三段は、この記事の1年後、1993年10月に四段に昇段する。

19歳と9ヵ月の時のことだった。