将棋マガジン1990年4月号、東公平さんの「明治大正棋界散策④ 東京本所相生町」より。
へんな話で申し訳ないが、私は以前から「雁木」の駒組みについて、というより、名称について疑問を持ち続けている。
古い本を見ていると、あっちこっちに雁木とはこういう駒組みだと示されており、今われわれの言う駒組みとは全く違うのである。
阪田流と同じで、違っていると分かっても今さら変更はできまいけれど、持って生まれた性分で、いつまでたっても頭から消えない。
古書に出ている雁木とは、振り飛車に対する引き角の形。桂香歩を除いて駒組みを文字で記せば▲7七銀、7八玉、7九角、6九金、5八金、3七銀、2八飛。
伝説によれば、京都に住む在野の強豪 檜垣是安は、江戸の家元に挑戦状を送り、その日に備えて序盤作戦を思索するうち、ふと河岸の船着き場の雁木(木製の階段)の形からヒントを得て創案したという。
ところが二世名人大橋宗古(初代宗桂の実子)は、対戦相手に伊藤宗看(のち三世名人)を選び、是安の「平手」での申し入れを蹴って香角二番指させた。これでは折角の新戦法も使えない。故に実戦譜がなく、幻の駒組みになってしまった。
(以下略)
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雁木といえば1図の形。
それが、実は2図の形が本来の雁木だったということだ。
振り飛車党の私から見ると、やられたらかなりイヤな形だ。
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「雁木」は、一般的には、
①雪国の商店街等で見られる雪よけの屋根
②船着場における、階段状の構造物
の二つのことを指す。
1図の雁木は①をイメージしている。
いつ頃から1図の形が雁木と呼ばれるようになったかは不明だが、関西将棋会館のホームページ「将棋の歴史コーナー」にも、雁木囲い(1図)は檜垣是安より前に別の在野棋士が既に指しており、そもそも中央に二枚銀を並べる形はこの時代の基本なのだから、それ以前からあったと考えて間違いないだろう、と書かれている。
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関西将棋会館のホームページによると、”檜垣是安吐血の一戦”と呼ばれた対局の以前から宗看と是安は対局をしており、また、この対局の7年後の檜垣是安の棋譜も残されているという。
”是安吐血の一戦”は講談調に作られたフィクションである可能性が高いが、このようなドラマチックな伝説が創られるのも、将棋が世の中の人から愛されてきた証拠なのだと思う。