中原誠十六世名人「加藤さんはうなぎかな」

将棋世界1981年2月号、読売新聞の山田史生さんの「第19期十段戦終わる 加藤、4-1で十段位奪取!」より。

 二日目も快晴。初島のうしろに昨日は見えなかった大島が見える。気温の関係か、同じ快晴でもよく見える日と、全く見えない日がある。

 ところで対局再開前、昼食の注文を聞いておくのが習わし。先に対局室に入っていた中原は「なべ焼きうどん」という注文だったが「加藤さんはうなぎかな」と一人ごちた。

”向こうがうなぎなら、こっちもうなぎだ、負けちゃいられない”という意が汲みとれたのだが、果たして、おくれて入ってきた加藤、ためらわず「私はうなぎ」というのを聞いた中原、「私もそれに訂正して下さい」といった。

 この少し前、広津、大内両八段らと雑談で「前に週刊誌に一週間の献立を出して診断してもらったら、このままだと30歳代で糖尿になるといわれた。食べ物は注意しなければ」などと語っていた中原、舌の根も乾かぬうちの訂正だけに、おかしかった。

(以下略)

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将棋世界1981年2月号、能智映さんの「棋士の楽しみ 将棋の強い人ほど健啖家」より。

 この中原も1メートル72センチ、70キロと大柄な体軀だけに食事を楽しむ。

 このごろは「ちょっと肥りすぎちゃってね」という身体を気にしてか、あるいは安子夫人がそれを気遣ってか愛妻弁当をかかえてきて、特別対局室などで外を見ながら一人静かに昼食をとっている。

 だから、地方に出た時などでも、昼食には割に軽いものを注文するのが常だ。

 また中原-米長戦が舞台だが、こんどは中原に主人公になってもらおう。場所も、ずーっと南へ下って福岡のホテルである。

 手を休めて、昼食のメニューをじっと見ていた中原、「夕食は何なの?」と聞く。「和食のようです」との答えに「それじゃあ、昼は洋食にしようかな」と、ずっと先を読んで「うん、決めた。スパゲティーのミートソースに野菜サラダにしよう」

 それを聞いた米長、瞬時に「わたしはステーキ、レアでね」ときた。意表の一手をパッと指したのである。

 私と記録係の少年がそれにならったのもいけなかったかも知れない。

 昼食時、普通は両者は対面に座っては食べない。ところが、この日はどういうわけか、さっきの4人が一つのテーブルを囲んでしまった。

―名人はジトーッと回りの食事を見渡したあと、スパゲティーに手をつけたが、また私のステーキを見直している。

「うん、やっぱり、うまそうだ。ちょっとわけてもらおうか」と思い切ってきり出してきた。私とて、大名人に肉をおねだりされて不満なわけはない。さっとナイフを持って「このぐらいですか?」と聞くと、名人は「いやいやっ」とかぶりを振る。そして「やっぱり真ん中の方がいいね」とぴしゃりといって、ニコニコ笑っている。

「そう、そこそこ!」米長も面白がって口をはさむ。こうして、私の一番おいしいところの肉が4分の1ほど、血をしたたらせて名人の皿に移行していった。私の皿には、中央部のない”仲を引き裂かれた肉片”が2つ。―ちょっぴりあわれな私だが、「名人にステーキをごちそうした」(?)という妙な満足感が残ったものだった。

 このように、将棋指しはみな気さくで無邪気。名人とて、決してその例外ではないのだ。

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中原誠十六世名人の柔軟さが、たまらなく良い味を出している。

血液型性格判断の真贋は別としても、いかにも本に書いてあるB型らしい行動パターン。

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私はステーキを頼む時はいつもウェルダン。

子供の頃、刺し身などの生ものが嫌いで、火の通っていない肉などは考えられない、という派だったのが大きく影響している。

そういうわけなので、ステーキは好きだけれども、”血の滴るようなステーキ”という言葉を見ても、食欲は起きてこない。

そのくせ、ベーコンは生焼けが好きで、ウインナーソーセージは焼く必要がないと考えている。

ベーコンもソーセージもあらかじめ加熱加工されているし、そのままでも十分に美味しいから。

微妙なのは、生ハム(燻製はするが加熱をしない)で、嫌いではないけれども、食べていてあまり落ち着かない。生ハムカツというものがあるとしたら、一度食べてみたいと思うほどだ。

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ベーコンというと思い出すのが、映画『シャイニング』で、ジャック・ニコルソンが炭のようにカリカリに焼いたベーコンを目玉焼きの黄身につけて食べるシーン。

自分なら絶対にあのような食べ方はしない、と強く思ったものだ。