週刊将棋1985年9月25日号、湯川博士さんのヒューマンファイリング「SMの帝王といわれて・・・」より。
団鬼六誕生
酒場をつぶした後、都落ちを決心する。すべての女を整理し、田舎教師になるべく三浦三崎に行く。
三崎中学では英語を教え、風光明媚な土地で、すさんだ神経もいやされる。そうして、同量の英語教師と結婚もする。
「東京から遊びに来る友達は、口をそろえていいところだとほめるんですが、ボクには退屈でした。都会を逃げ出したくせに、田舎にこもると今度は退屈で……。
そこへ、前にちょっと書いたエロ小説の人気が出て、もっと書いてくれと依頼がきましてね。そこで団鬼六というペンネームをこしらえて『花と蛇』を書き出したんです。
生徒は自習にしようというと喜ぶんで、ちょいちょい自習にしちゃあ、教壇で悪魔小説書いてるんですから、とんでもない先生でしたよ」
小説を書くことは、精神の凝縮作業でもある。自堕落な生活状況から脱皮するや、またもや執筆のエネルギーがわいたのも当然といえる。
もともと都会育ちの松次郎、三年で田舎教師を切り上げて再び東京へ。とりあえずの仕事は、外国テレビ映画の翻訳、台本作り。『ヒッチコック劇場』や『バークレー牧場』などを手がける。
「ボクは英語はそれほど得意でなかったんで、自分流の意訳でやったんですが、それが割に評判よくてね」
『ヒッチコック劇場』の軽妙なセリフは、この人が書いていたのか。
脚本の才が知れ、ピンク映画の注文が殺到する。
『団鬼六』が一人歩きし、緊縛師、SMモデルとの結び付きができてくる。
「ボクは、途中までは金のための腰かけと思っていたんですが、団鬼六の名前がポルノからボクを放してくれなくなっちゃった。ボクがあたかもSM愛好家のように思われまして、家に来る女優さんなんか、こわごわしてましたよ。
ボクのSM小説が当たったのに便乗して、次々と雑誌も創刊されて、もう団鬼六はSM界の帝王になっていました。
でも忙しければ忙しいほど将棋がやりたくてね。月に何回かはプロ棋士やセミプロ強豪を呼んで将棋の日を確保していました。出版社の黒板には、その日のところに”鬼、将棋の日”なんて書いてありました」
いまの家は、横浜港が目の下にあって、伊勢佐木町の繁華街にも歩いて行ける一等地だ。
この家も『団鬼六』が建てたものだ。
「単行本も百五十冊くらいあって、それぞれニ、三万部出ているんで、もうあまりエロは書きたくないんですが、表紙に団鬼六の名前がないと売れない、なんて泣きつかれるとねェ。本当はマトモな小説書きたいと思っているんだ……」
その思いが募って、手始めに将棋エッセーの本を二冊出した。今度は将棋界と深い縁ができた。気がつくと赤字の月刊誌「将棋ジャーナル」を引き受け、抜き差しならぬ関係に陥っている。
三度も将棋に救われた鬼六先生、今度は将棋を救おうというのか、それともまた救われるのか……。
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「ヒッチコック劇場」。1960年代のテレビの名作と言われた。
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団鬼六さんの将棋が原因となる運命的な出来事はこの後にも起きるが、近々紹介したい。
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