将棋世界1993年4月号、東公平さんの巻頭エッセイ「花の名人戦よ永遠なれ」より。
大いなる 戦ひまさに はじまるや ともどもに勝て 木村も土居も
佐佐木茂索
昭和15年4月28日、第二期名人戦の「指始式」が東京麹町の将棋大成会で挙行され、神宮による儀式、名人木村義雄と挑戦者土居市太郎の宣誓、十三世名人関根金次郎の振り駒が行われ、先番になった土居の▲7六歩、木村の△8四歩でめでたくおひらきになった。
冒頭の唄は、所用で紀州勝浦にいた観戦記担当の茂索が打電してきた三首のひとつ。代わって「指始式拝見記」二日分を書いたのは里見弴。
「あたしが金次郎だから、金を先にしよう」
「ところで、土居さんと僕と、どっちが金なのだ」
木村名人も笑ひ声で、「あなたが金でどうです」
「ええ、よござんすよ」
「いゝかね。じやァ……」
カチャカチャと掌の平の丸味のなかで駒音を響かせながら、「もしおっ立ったら、・・・おっ立ったやつは金だ」
ひょうひょうたる関根前名人のユーモアに笑い声が起き、式場の空気がやわらいだ光景を第二譜に里見は記している。
第一期名人戦は八段九名の点数制による争いで木村が優勝しているから、七番勝負はこれが最初。各十五時間の三日制。五十二歳の土居は二回目の封じ手に三時間三分を費やすなど時間一杯頑張ったが、若い弟弟子の粘りに屈した。残り三分になったとき、
「転び漂い難波江の足もとはようろよろ」
とつぶやいたそうだ。
昭和22年の第六期からは各八時間の一日指し切り。大八期だけは五番勝負。泊まる宿も食う物もろくになかった時代で、やむを得ない変更だったのである。
主催紙が毎日から朝日に変わった第九期以降は各十時間の二日制。四月開幕と定められたのは昭和33年の升田-大山戦から。37年の大山-二上戦第一局は千駄ヶ谷移転を記念して将棋会館で。昭和43年の第二十七期から各九時間に短縮され、第三十五期まで続く。定価18万円の「将棋名人戦全集」は、この中原-米長戦までを収録している。
花咲いて 名人戦は またはじまる 寒紅
まずい俳句だという人もいるが私は、建部和歌夫八段のこの「花咲いて」が好きだ。「名人戦」は季題になっていいと思う。
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去年の名人戦開幕の時は桜が満開だったが、今年は散ってしまっているところが少し残念。
故・建部和歌夫八段は旗本家の末裔。古棋書にも非常に造詣が深かった。
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七番勝負としての初の名人戦、第1局の振り駒を関根金次郎十三世名人がやっているところが、現代から考えると逆に斬新だ。
「もしおっ立ったら、・・・おっ立ったやつは金だ」というのも、若い頃にたくさん遊んでいた関根十三世名人らしい言葉。
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佐佐木茂索は、戦後、文藝春秋の社長も務めた。
「大いなる 戦ひまさに はじまるや ともどもに勝て 木村も土居も」
は、どのような戦いでも使える短歌。
「大いなる 戦ひまさに はじまるや ともどもに勝て 森内も羽生も」
字余りになってしまうが、多くの将棋ファンの方が同じ気持だろう。