藤井猛竜王(当時)の絶妙技(前編)

近代将棋2001年1月号、武者野勝巳六段(当時)の第13期竜王戦(藤井猛竜王-羽生善治五冠)第1局観戦記「羽生がふっ飛んだ!藤井流の恐るべき新感覚」より。

常識の上を行く藤井のバランス感覚

 3図で藤井が▲7四歩と突いたのはうまい。

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 これに反応した羽生に△7二飛と回られ、▲7三歩成△同銀となった恰好は先手が大きな手損となっている。△7二飛は故・大山十五世名人が得意としていた対応で、部分的には後手が得となっているのだが、なのになぜ▲7四歩がうまい手なのだろうか?

 それは後手が3、4筋の位を取って得、7筋では手得をして儲けたという理屈なのだが、あっちもこっちも利を得ようとすると、駒の数は有限なのでかえってバランスが悪くなってしまうのだ。強者に定跡なしといわれるが、これこそ藤井のバランス感覚の良さを表した一連の指し手だった。

 羽生は手得を生かして正面突破を図ろうと、△8四歩から△7四銀と進出する。そうして歩の頭に銀が出た4図で藤井の封じ手となり、1日目は終わった。

藤井の巧妙極まる指し回しに羽生の銀はソッポを向かされた

 実は、封じ手となった4図時点でも控え室では旧来の感覚が支配していて「手得の羽生が指せるのではないか」という声が充満していた。

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 その理由として「△6四歩の突き出しがあるから、封じ手はそれを未然に受ける▲8八角しかない」という思い込みがあったわけだが、▲8八角だと今度は△7四歩の合わせがいい味で、▲同歩△同銀と銀が絶好の位置に居座ってしまいこれは確かに勝負あっただ。

 となると△7四歩の合わせには、これを避けるために▲7七桂△9四銀と銀を追ってから▲7四歩と取らざるを得ないが、やはり後手に△8三銀と活用され、▲6五桂にも△7四飛(参考図)と強気に応じられて、美濃囲いが完成していない先手はたちまち壊滅となってしまうのだ。

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〔4図以下の指し手〕

▲7九角△6四歩▲3八銀△6五歩▲8八角 (5図)

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 こうした控え室の思い込みをあざ笑うかのように藤井は▲7九角と引き、△6四歩にもあっさり▲3八銀と締まり美濃囲いを完成させた。

 あえて羽生に△6五歩と仕掛けさせてから一手損で▲8八角と上がったわけだが、この手順こそが藤井の卓越した将棋センスを表した構想で、羽生は玉頭位取りなのに、まんまと急戦へと引きずり込まれてしまったわけだ。

 こうなると後手歩越しの8五銀が空を切ってしまい、居飛車党総裁格の重鎮・立会人の加藤一二三九段でさえ「居飛車側に思わしい手がありませんね」とサジを投げる展開となってしまった。

〔5図以下の指し手〕

△7四歩▲6五歩△8八角成▲同飛△7五歩▲6八飛△3三角▲9七香△7六歩▲6六銀△7四銀 (途中図)

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 途中▲6八飛などは心憎いばかりの対応で、羽生はせっかく△7六歩と伸ばしたのに、▲6六銀と上がられ自分から飛車道をふさぐ△7四銀と泣きたくなるような辛抱を強いられる。

 控え室では「後手が苦しくなった原因は?」と指し手をどんどんさかのぼって調べたが、羽生にこれといった疑問手はなく、となると「封じ手時点で後手が悪かったの!?」と驚きの声。

(つづく)

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戦線を無謀に拡げて大敗北を喫した日本陸軍の『インパール作戦』。

インパール作戦は、無謀な作戦の代名詞とされている。

藤井猛竜王(当時)の▲7四歩(3図)は、まさしく羽生陣の戦線を拡げさせる狙い、羽生陣のインパール化を狙った手だ。

(通常、対居飛車での石田流模様では、飛先の歩は交換をしない。交換をすると逆に飛先から逆襲をされるので)

そして4図からの▲7九角。

後手の戦線を無理に拡大させた上に、後手からの急戦を誘う。

一個師団を退却させると見せかけ、それを追ってきた敵軍に対し、振り飛車要塞が照準を当てる。

相手の力を逆用する振り飛車からの猛反撃は明日の記事でお届けします。