行方尚史八段祝賀さくら船(後編)

近代将棋2007年6月号、故・団鬼六さんの「鬼六面白談義」より。

 たちまち人数が集まって、定員50人のさくら船が60人近く乗船することになった。女流棋士も出来るだけ乗せろ、と白岩君に声をかけておいたのだが現在、女流棋士は独立自立派と連盟残留派との二派に別れて双方、出会っても顔をそむけ合うような険悪な状態にあるという。だから、女流棋士が一同に会すというのは無理と思われます、と白岩君はいったが、蓋を開けてみるとかなりの女流棋士が行方祝の船にかけつけてくれた。

 蛸島彰子、関根紀代子、藤森奈津子、高橋和、宇治正子、古河彩子、早水千沙、上川香織、鈴木環那、北尾まどか、貞升南など、私のように16年前のことばかり並べたがる老朽物質になってくると、蛸島さんとか関根さん、それに藤森さんあたりは何とも懐かしく、思い出も込み上げてきたが、それ以外の女流棋士は初対面が多かった。しかし、今、女流は誰が勤皇派で誰が佐幕派かわからないけれど船の中では双方、キャッキャッとはしゃぎ合って何とも楽しそうであった。

 そんなこと、どうだっていい。本日は行方新八段のお祝い船なんだ。出航前から佐伯九段とコップ酒を飲みだし、いい加減酔っぱらってきて、船内を見廻すと、船内はぎっしり満員、先崎も伊藤能も中田功も出来上がりそうになっている。ふと時計に眼をやると、もう1時の出航時間を少し過ぎている。私は進行係の白岩君に向かって叫んだ。「定刻時間じゃないか、早く船を出せ」

 それに対し、白岩君は舳先の方からいった。「あと一人遅れているんです。もう少し、お待ち下さい」

 それに対し、私ががなり返すようにいった。「一人ぐらいほっておけ。今日は行方のお祝いで、時間厳守はいってある。一人ぐらいでケチをつけられては困るよ」

 もういいから船を出せ、と、酔っ払った勢いでがなり立てると、

 「出発しろ、といわれれば行きもしますが、でも、まだ来てないのは行方さん一人なんです」

 と、白岩君がいうので、私はギョッとした。主役の行方抜きで船を出すというのは何とも間が抜け過ぎている。正に鼻血ブーであった。

 「あいつの遅刻癖は有名なんですよ」と、伊藤能がいった。

 「米長先生の引退最終試合に行方が当たることになったのですが、その大事な対局に彼は30分も遅刻して来たんです。紋付、羽織姿で対局場で待っていた米長先生、俺は怒ってないぞ、と、とぼけていましたが、あれ、結構怒っていたと思いますね」

 そんなことをいっている内、行方が、遅くなってごめん、という風に船に乗り込んで来たのでやっと船を出航させることが出来た。途中で道に迷ったのが遅刻の原因だなどといってたが、その時、私はまた吉川さんの鼻血ブーのアホ孫のことを思い出した。

 この孫がやはり中学の時、野球が好きだというので後楽園近くの喫茶店で日曜日、待ち合わせをしたことがある。私の方も孫を呼んであったのだが、吉川さんの孫は30分も遅刻したので私は頭にきて説教した。

 招待してやろうという人間を30分も待たせるなど非常識だ、と意見するとこのアホ孫はうなだれて、すみません、と声を震わせ、でも、母が、母が、と嗚咽をこらえるような声を出すので私の方はうろたえた、母上の身に何か異常なことが生じたのかと尋ねると、いえ、母が起こしてくれなかったのです、というから私は絶句した。君はアホと違うか、としかいえなかったが、こんなのは新々人類というのかも知れない。

 行方の遅刻癖というのも大なり小なりそれに似たところがあるように思われてくる。デカダン気取りでやって来い、といったが、遅刻してやって来いとはいっていない。

 要するに八段になったからにはそろそろ身を固めることを考えることも必要ではないかと思われる。遅刻の理由を妻が起こしてくれなかった、でも行方なら通用すると思われるのだ。これまで結婚なんて恋愛の墓場みたいなものだから、女遊びしても結婚だけはするな、とデカダニズムを説いたように思うが、A級八段ともなれば或る程度、外聞も考えなくてはならないだろう。

 行方が家に来て駅前周辺を飲み廻り、必ず送り届けてくれるのはいいが、それでは帰ります、といって私にはそのまま帰った風に見せかけ、そのあと取り巻きの出版関係の人間と明け方近くまで再び駅の近くの飲屋街で過ごすなど、彼の泥酔ぶりは異常さを感じることがある。そろそろ、妻を貰って健康に留意せねばならぬと思うのだ。

 さっと見廻すと伊藤能を始めとして豊川、飯塚、先崎、そして鈴木大介などあらかた結婚をすませていて子供の一人や二人作っている。そして、生活に統制が取れ、真に悦ばしいことだ。何となく行方一人がデカダンスな生き方を貫いているようで、つまり、酔っ払い仲間とのつき合いが良すぎるようで、それが気になるといえば気になることだが、まあ、いいか。結婚はしてもいいものだし、したくなければしなくてもいいものだ。また、結婚は早過ぎてもいけないし、おそ過ぎるのもよろしくない。私みたいにデカダンス的人間から見ると、結婚なんて便宜的なもので、男女の結合を支えているものは何もなく、一人の人間が二人になると、一人の個性が失われて人間の品格が堕落する場合がある。いや、これ、私流の結婚観であって、大事な対局を30分も遅刻するなら、妻が起こしてくれなかった、でもいい。妻を利用するべきだと思うのだ。まあ、いいか、今日から君は八段だ。A級へ入ったんだ。矢でも鉄砲でも持って来いだ。ざまあ見ろてんだ。勝手にしやがれだ。とにかくめでたい、めでたいだ。船中は酒気が廻って相当に盛り上がってきた。一人、一人、行方にしどろもどろのお祝いの言葉をのべた。行方はよろけながらあっちの席へ座ったり、こっちの席へ座り込んだりして聞いているのかいないのかわからない。

 途中、見晴らしのいい場所に船は停泊して桜見物をさせてくれたが、大半は酔っ払って屋外へ出て桜鑑賞をするという者はいなかった。

 時折、カモメの大群が波状的に餌をねだって押し寄せてくるのが新八段の誕生を祝った群れの如く感じられ、気持ちよかった。

(以下略)

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進行係の白岩さんは、この時、近代将棋編集部に配属されて4ヵ月。

後に近代将棋最後の編集長となる白岩さんだ。

誰にでも、体育会の後輩が先輩を敬うような雰囲気で接してくれる爽快な白岩さんだ。

中野隆義さんと白岩さんは団鬼六さんからの信頼厚く、近代将棋休刊後も、団さんの旅行会や屋形船に誘われている。

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行方尚史八段が結婚をしたのは団鬼六さんが亡くなった後だが、団鬼六さんが生きていたらどれほど喜んでいたことだろう。

もちろん、今回の行方八段のA級復帰に対しても祝い船を出していただろう。