窪田義行四段(当時)「私は、四間飛車で勝つため棋界にいる。決して離れることはない!」

将棋世界1994年5月号、「四段昇段の記」より、窪田義行新四段の「AGREEMENT」。

 「ウワッ!」五度目の打撃に、私は堪らず落下し始めた。背後に迫る海原にも気付かぬ如く、必死に手足をバタつかす。そんな時肉体が音もなく受け止められ、天高く浮かべられた。奇跡と悟って呟く。

 「運命の女神が、私を援けてくれた!」

 二月七日正午過ぎ。昇級戦線でほぼ最悪の位置にいた。五敗目を喫し、後四戦を全勝しても良くて頭ハネ・・・考えると滅入った。

 しかし、何を想っていようが午後の対局は始まる。私の四間飛車(今期十七局用いた)に田畑三段は何と鳥刺し。面食いつつも制勝。

 二十一日午後。中座三段に相振りを匂わされ中飛車に。終始強引気味の指し回しで勝ち切る。この辺を振り返ると、腹を括れていたとも考えられるが、負けていたら「ヤケを起こしたばかりに・・・」と漏らす破目になったかも。いかなる結果が出ようと「過程」に対し等しい結果を下すなんて事は難しい。

 二日後の関西での結果が届くと、先の関東とも照らして好転を実感した。まだ「良くて・・・」の目は残っているので、取り敢えず勝つ決意だけを固める。

 三月一日から二日未明。この一日弱は忘れ難い時間となった。最後の記録とすべく臨んだA級最終戦加藤九段-小林八段戦。盤上も両先生の闘いぶりも、大いなる糧となった。

 日付が変わり、全ての死闘もそれぞれの結末に帰して後の打ち上げの席で桐谷六段から伺った一言。「周りの星は気にするな」。日頃付け刃の類は好まない私だが、なぜか今回は鵜呑みにする気になったのだ。思えばここで既に「受け止められて」いたのかもしれない。有吉九段からも、大山十五世名人に関するお話を伺い、正直感動すると共に恩師花村九段の思い出が「力」となって蘇った。

 消える如く一日が過ぎて最終の三日。隣の対戦すら見ずにどうにか一勝。昼食後の木村三段戦は手将棋模様から図に至り以下、▲5三歩成△5二歩▲5四歩と打ち合いで千日手に。悪くないと見ていた将棋なので気になったが、ともかくも指し直しで勝利。直後「援けられた」事を知ったのだった・・・。

 最後に、表題にも関連して宣誓したい。

 「私は、四間飛車で勝つため棋界にいる。決して離れることはない!」

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将棋世界、同じ号の第14回奨励会三段リーグ戦より、奨励会幹事の小林宏五段(当時)の記。

 大波瀾の最終日だった。

 16回戦終了時では鈴木と北島が自力で、北浜、窪田、木村が後に続く状況だった。ところが鈴木と北島が2人共まさかの2連敗。2連勝した窪田と1勝1敗だった北浜の大逆転昇段となった。

 鈴木と北島の場合は結果的に最終日1勝1敗なら良かった訳で、実に辛い1日となった。やはり最終日はゴールが見えてくるだけに、プレッシャーがかかってしまうのか・・・。

 その中で窪田の2連勝は競争相手を破ってのものだけに価値が高い。1年半前に上がりそこねた経験が生きたのだろう。花村門下最後の個性派棋士誕生だ。

 北浜は最終戦に敗れたためまさか上がれるとは想っていなかった様だ。信じられないといった感じの表情が印象深い。こちらは18歳の最年少棋士。2人ともおめでとう。

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将棋マガジン1994年5月号、駒野茂さんの「スポットライト奨励会」より。

 3月3日、東京将棋会館4階の特別対局室。この一室で行われた最終局が全局終わった時、筆者が北浜に、「明日は予定ありますか?もしなければ写真撮影をしたいのですが」と言うと。「えっ、どうしてですか」と理由が分からないような返事が返って来た。

「上がったんだよ、四段に」

「でも、僕負けましたけど」

 その場で説明しても通じそうに思えなかったので幹事のいる部屋に連れて行き、成績表を見ながら星勘定してみせた。それでも半信半疑の様子。

 そんな彼を見て幹事が、

「本当に上がったんだよ、おめでとう」

 この言葉を聞いて、ようやく北浜の顔がほころんだのだった。

 今回の三段リーグ戦はまれに見る大混戦。14戦目まで12勝2敗で断トツの鈴木がすんなり決めるかと思いきや、何と!最終局まで誰一人決まらないという状況になったのだ。

 17戦目が終了した時点で、北浜、鈴木、窪田、北島の4人の争いに。そして結果は北浜、鈴木、北島と揃って敗れたため、この瞬間に北浜の昇段が決まったのである。

 本人にしてみれば、幸運というか信じられない結果であっただろう。

 残る一つのイスは窪田-木村戦次第。窪田か鈴木か。

 この一戦は5階で行われ、千日手指し直しのために一局だけ進行が遅れていた。

 両者秒読みになる大熱戦。窪田良し、木村逆転か、と局面が動く中、最後の冷静さを取り戻したのが窪田。

 終局直後に窪田が筆者の顔をまじまじと見るので、「おめでとう」と言ったら、「やった!」とガッツポーズ。そのあとに、「あっ、失礼しました」と対戦相手に気遣い。この場面が、妙に印象に残った。

 鈴木は結局次点。日頃陽気な彼も、この時ばかりは泣きだしそうだった。

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ここに出てくる鈴木三段は鈴木大介三段(当時)、木村三段は木村一基三段(当時)。

本当にドラマチックな最終日。

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窪田義行六段の四間飛車に対する熱い思いは奨励会時代から続いている。

窪田六段から、昨日言及されていた「金急戦」についてコメント欄で解説いただいている。

わざわざお採り上げ頂き、恐縮です。
当該語句ですが、遠い昔に拙著で類型に関して「金(銀)急戦」と命名した次第です。
具体的には、▲7六歩△3四歩▲2六歩△4四歩▲4八銀△3二銀▲5六歩△4二飛▲6八玉△7二銀▲7八玉と▲居飛車片船囲い?対△振飛車藤井システムに進みます。
そこで、△4三銀なら銀急戦・△5二金左なら金急戦となります。
以下▲5八金右に、△5二金左(△4三銀)と金銀を連結させるのは右翼の手回しが遅れるので後手番に不相応とされています。
先手がどの様な作戦で対抗するにせよ、3二銀-5二金左か4三銀-4一金の分裂型で推移して行くでしょう。
片や、先手システムなら6七銀-5八金左の連結型に合流するのが定番ですので、複数の呼称が発生する余地はない訳です。

振飛車党としては余り左金に過酷な労働を強いたくありませんが、盤上でだけは『当時は仕方がなかった』という事もあるかも知れません……

(以下略)

先手なら▲6七銀▲5八金左型の四間飛車にしても藤井システムに変化できるが、後手で△4三銀△5二金左型の四間飛車にしてしまうと、藤井システムにしたとしても一手手遅れになってしまうということだ。

この辺は振り飛車党にとって大いに参考になるところ。

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下図は近代将棋1996年1月号に掲載された窪田義行四段(当時)作の詰将棋。

 私は詰将棋に関して、作図は長らく手付かずでした。しかしこの度、一念発起して下図を得る事が出来ました!

 27手詰めのわりに低難易度ですのでノーヒント?とさせて頂きますが(以下略)

photo (27)

詰将棋初回作品。4二飛と四間飛車の位置に飛車が配されているところが、感動的だ。