行方尚史四段(当時)「四段昇段の記 血を吐くまで」

将棋世界1993年11月号、行方尚史四段(当時)の「四段昇段の記 血を吐くまで」より。

将棋世界同じ号より。

 疲れ切っていた。対岡崎戦の敗北は、僕の神経をズタズタにした。惨敗だったので、後悔はそれ程残らなかったが、敗北の事実は昇段への自信を見事に引き裂いた。

 真っ直ぐ部屋に帰る気もせず、重い足を引きずりながら新宿の街をふらついた。直接対決での敗戦は二敗分に相当する。まだ陽は高かったが、僕の心は暗かった。

 金もなかったので、何をするでもなく、たださまよった。雨が降ってくればいいと思った。大地震が起こればいいのにと思った。とにかく、今日の敗北を打ち消してくれる何かが欲しかった。

 ようやく陽が暮れてきた。気晴らしに、なけなしの小銭でビールを買い、一気に飲み干した。これからの事を考えると気が滅入った。空きっ腹だったせいか、一遍に酔いが回った。血を吐けたら、どんなに気持ちがいいのにと酔った頭で想像した。新宿の雑踏で血を吐き、孤独にうめいているイメージは僕にある事を教えてくれた。

 所詮、この世界と僕は分かち合えない。僕は乞食になるか、それが嫌なら世界に背を向け勝ち続けるしかないのだと。

 苦い酒は、僕の内面に確かな価値観を植えつけてくれた。

 それからも苦しい将棋ばかりだったが、どんなにひどい局面になっても投げるわけにはいかないと思った。将棋に負ける事は世界に負ける事と一緒だからだ。

 図は対小泉三段戦。

photo (25)

 今、▲9六桂と歩を払って銀に当て、△9五銀とかわされた場面だ。どう見ても必敗の局面である。飛角の動きに差がありすぎ、おまけに先手、先手で攻めたてられている。ここは、手の流れからいっても▲8四桂と逆先をとりたいところだが、それでは△9三飛と浮かれて次の△9七歩~△9六銀が受からない。そんな軽い手では逆転できない。

 秒読みの最中、僕は瞬間的に▲8八桂と打った。今期を象徴するような魂の桂だ。体が熱かった。この将棋を逆転勝ちして、自分自身に確信を持つ事ができた。

 七年間、色々な方に御世話になった。月並みだが感謝の気持ちでいっぱいだ(特に師匠には)。

 そして僕は、血を吐くまで戦い続ける。

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行方尚史三段(当時)の、魂の▲8八桂。

津軽の厳冬の雪の中、臥薪嘗胆、じっと辛抱しつつ春を待つような、魂と気合いのこもった一手だ。

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行方尚史八段は、昨日の王位戦挑戦者決定戦で佐藤康光九段に勝ち、行方八段にとって初のタイトル戦挑戦を決めている。

佐藤康光九段の角換わり向かい飛車から非常に難解な局面が続いたが、最後は行方八段が力強く踏み込み、見事にこの一局を制した。

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昨年の5月のブログ記事で、王位戦挑戦者決定戦の分析を行った。

その結果、

前年の紅白歌合戦で勝った組と逆の色の組代表が王位戦挑戦者決定戦で勝つ確率が高い(12年間で10回)

ことが判明した。

残りの2回(紅白歌合戦と王位戦挑戦者決定戦の勝ち組が同じ色)は、両方とも羽生善治三冠が挑戦を決めた時のもの。

王位戦挑戦者決定戦を占う

この数週間後に行われた昨年の王位戦挑戦者決定戦〔渡辺明竜王(紅組1位)-藤井猛九段(白組1位)戦〕では、白組1位の藤井猛九段が勝ち、挑戦権を得ている。

この前年末の紅白歌合戦では紅組の勝利。

そして、今回の行方八段(紅組1位)の勝利。

昨年末の紅白歌合戦は白組の勝利。

昨年の分析以降、「前年の紅白歌合戦で勝った組と逆の色の組代表が王位戦挑戦者決定戦で勝つ確率が高い」という流れが2回加わったことになる。

ということで、この傾向は、この14年間で12回目。

来年も、この流れが続くのか断ち切られるのか、引き続きウオッチしたいと思っている。

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