昨日の記事に、元・近代将棋編集長の中野隆義さんからコメントをいただいた。
>「自分が羽生だったら簡単に抜けれるのではないかと考え、羽生将棋を研究し真似したら勝てるようになった」
>これは、「自分が福山雅治だったら簡単にモテるのではないかと思い、福山流を研究し真似したらモテるようになった」、というよりも数百倍難しいことのような感じがする。
あ、あの・・。福山流を真似するにはまず顔と声が同じでないとなんないと思うのですが、これって不可能ですよね。一方、羽生を真似するには顔と声が同じである必要はありません。よって、羽生を真似するほうが難易度が低いのではないかと思います。
>羽生将棋には、模倣をしやすい明確な形というものがないと思う。あるとすれば正しい手を指し続けるということと羽生マジック。
羽生流は、たとえば「長い詰みより短い必死」派ですし、先手を持ったら主導権を主張し後手になったらそれほど張り切らずに相手について行く派、という風に案外普通っぽいというか自然な棋風だと思うので、真似しやすいところがあるというかある程度の棋力の持ち主なら真似するための努力を必要としない部分がけっこうありそうに思います。
羽生将棋を真似するのに一番大変なのは終盤のクソヂカラですが、これも必死にがんばればある程度近くまで行くのではないかと。>それだけ、三浦弘行三段(当時)には、実力と吸収力が兼ね備わっていたということだと思う。
三浦流のケースでは、真似しようと思い立った時点で非凡なる終盤力はすでにかなり持ち合わせていたのですから、あとは意外に簡単だったのではないかと思います。
ごちゃごちゃ言ってすみません。最近逆立ちをしたきたろうめにございます。
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たしかに、言われてみると、そうかもしれないような感じがしてきた。
中野さんはデビュー以来の羽生将棋を観戦してきたので分析が明快だ。
羽生将棋は、
- 長い詰みより短い必至派
- 先手なら主導権を主張し、後手ならそれほど張り切らずに相手についていく派
- 卓越した終盤力
現代将棋の潮流とも言えるこの基本原則、羽生善治三冠の指し方が時代の流れに強く影響を与え続けてきたということなのかもしれない。
振り飛車穴熊党だった三浦弘行三段(当時)。
振り飛車だと2が活かせない。
三浦弘行三段が居飛車党に転向した理由は、この辺にもあるのかもしれない。
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よくよく考えてみると、自分の将棋を考えた場合、この3原則はかなりストイックに感じられるものばかりだ。
長い詰みより短い必至
酒を飲みながらネット将棋をやっていると最もその傾向が強くなるのだが、詰みそうだなと思うと、一気に詰ませに行きたくなるものだ。
そこをこらえて、ぐっと手堅く必至で行く。
自玉の危険性も読みつつ、相手に迫る手も読まなければならない。
ぐぐ
先手なら主導権を主張し、後手ならそれほど張り切らずに相手についていく
私は先手だろうが後手だろうが、自ら手を作りに行く攻める振り飛車党。
後手でも主導権を主張する将棋。
だから負けることも多いわけだが、先手後手関係なく攻める振り飛車の楽しみからは逃れられそうにない・・・
卓越した終盤力
詰将棋が嫌いだった私に求めることはできない力だ。
結局は、自分の将棋に全く現代の流れが活かされていないことに気がつく・・・
やはり羽生将棋の真似は相当な力がなければ難しい。
そして、福山雅治さんのマネも同様に。