湯川恵子「ありあわせのボロ」

湯川恵子さんの面目躍如。

近代将棋1993年9月号、湯川恵子さんの「女の直感」より。

ありあわせのボロ

 それを読んだ時、いきなりガガ~ンとショック受けちゃった。

 山田道美九段のことはほとんど何も知らないし、それに自分の身分を思えば何もショック受ける筋合いはなかったのだけど、まぁ、その文章がいかにも強烈に決まっていたからだろうか。

 「将棋世界」の玄関ドアみたいな一番目立つページに(巻頭というのかしら)毎号その月をテーマにした東公平さんのエッセイがある。

 東さんの文章って、艶のある絹糸をぴーんと張りしごき、繊細な光る針先で縫っていくような、とても素敵な感じがある。それにそのページはどど~んと贅沢に白い空間を生かしたレイアウトも輝いているし私はいつも楽しみに眺めている。

 「六月」だった。

 『天はあまりにむごいことをする!』とのタイトルで、昭和45年6月18日の夜、現役A級棋士・山田道美が36歳で亡くなったことを書いておられた。

 昭和45年というと私は19才。将棋の駒の動かし方は知っていたがプロ組織があることもアマチュアの大会があることさえも知らなかった。20才の歳になってから将棋連盟の女性教室へ通うようになりその後、”山田道美”の名を何度か偶然活字で目にしたことがあるだけだ。

 あ、山田教室、研究会の元祖……そうかジュバイツアー博士に傾倒したのもどこかで読んだ……したんだっけ……

 なにしろ自分が一度も会うことなく死んでしまった人のことなので、余計な感情はなく素直に、昔読んだ活字の切れ端がなつかしく浮かんでくるのだった。

 その最後のほうに「もうひとつ、忘れられない言葉がある」として、山田道美の『正しき道』からの引用の一節があったのだ・

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『だが、私がどんなに対局中に一生懸命指しても、その後にはやはり恐ろしい空虚がきた。そして、苦悶の末作った棋譜は、観戦記というありあわせのボロを着せられ、死骸のように新聞に載って、捨てられた』

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 (あいにく私は「正しき道」を読んだことがない。この6行は山田道美の文章を引用した東公平氏のエッセイからの引用です)

 嗚呼、凄いこと言ってくれちゃうもんですね山田さん。おかげで私は近代将棋のネタ1本書いています。

 いや本当は、表現のおもしろさに感激しただけですまそうとした。

 「観戦記というありあわせのボロ」―おもしろいですよねえ!

 だけどいつまでたっても妙に気になるのだ。

 彼は文章も書く人だったから、自分の将棋をヘタに書かれて悔しい思いをしたことが多かったのだろうか。

 こうと思ったら決して、ウソや方便で自分を繕うことができない性分だったのだろうか。

 よく読んだら引用の前に「(山田の)六段当時の迷いを語っている」とあるから、やはり若い頃ならではの深刻な悩みが迸ってしまったのだろうか。

 観戦記を「ありあわせのボロ」だなんて、プロになったことがない私がごく単純に読むと、相当に自己中心派の言い分である。新聞を買う将棋ファンのことがまるで眼中にない。手前勝手な”高邁”を遊んでいる。

 プロがどんなに一所懸命に命を削って対局しようと、棋譜はそのままでは売れない。ほとんどの人は理解できない。ことによると山田道美はその点にこそ何か自己矛盾をかかえて腹を立てていたのだろうか。

 彼は異例のタイプだったようだが、およそ盤上のことはあまり語らないですよねぇ。みすみす利敵行為になることを、する人は少ない。研究は軍の秘密だ。

 そして相対の勝負の世界ゆえ棋士は、周囲の人間が自分の敵か味方かの判断にはとても勘が鋭い。大きな勝負になるほど、周囲のちょっとしたことが重大な意味に受け取られたりするようだ。

 その環境の中で、将棋と棋士を好きな人がなんとかうまく泳ぎ、棋譜をファンに伝える仕事をしているんでしょう。生活とプライドを賭けているのでは棋士と同じだと思う。

 観戦記というありあわせのボロ。

 新聞社の人はどう感じただろうか。まさかボロに原稿料を払っているはずはないのである。他のプロ棋士たちはどう感じたろうか。何より、新聞読者はどう思っただろうか。

 私はちょっと、山田道美プロの気概と情熱が空回りしているような気がして、可哀想になってしまった。たった36才の若さで死んでしまうほどの「苦闘」だったのですねぇ。やっぱり、恐ろしい。

 でも、もし今、生きているプロ棋士の中にこの文章に共感する人がいるなら、「何をあ~た気取ってんのよおっ」て、ほっぺたつねってやりたい。

 観戦記は素晴らしい棋譜をボロにしてしまうこともそりゃあるかも知れないけれど、ボロ棋譜に見やすい服を着せてあげることだってあるんじゃないかなぁ。

 全然関係ない話。

 「ボロ」って、好きですね、着るのも好きだけど、捨てられないやつが押し入れにいっぱい蓄まっている。

 もっと関係ない話。

 北原ミレイの「石狩挽歌」、ご存じですか。♪海猫(ごめ)が鳴くからニシンが来るとぉ~~♪ カラオケで得意なんです。この歌詞の中にあるの。

 「オンボロロ~オンボロボォロロォ~」

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昨日の記事に出てきた東公平さんのエッセイについての湯川恵子さんの思い。

湯川恵子さんが、裏表なく、湯川恵子さんらしさを全開させた文章と言って良いだろう。

湯川恵子さんと一緒に飲んでいるような気分になれるエッセイだ。