「私、郷田くんのファンなんです」

将棋世界1991年1月号、「公式棋戦の動き」より。

棋聖戦

新鋭の登場

 都内の名門女子大に通うかおるクンは、自他共に認める大の面食い。浅野ゆう子にちょっと似た顔立ちの美人で、つき合っているボーイフレンドも常に数人いる。

 そんな彼女が、ある日突然将棋に興味を持ちだした。理由を訊くと、

 「郷田君のファンだから」だそうである。

 どうやら将棋世界で、郷田四段の写真を見て一目惚れをしたようで、

 「私って惚れっぽい人なの」

 もうゾッコンなのである。

 その郷チャン、甘いマスクだけではなく、将棋も強い。

 16日に天王戦で中田功四段に敗れて、連勝こそ止まったものの、ただ今勝率1位街道を驀進中の19歳なのだ。

 棋風は全盛期の加藤一二三九段も顔負けの長考派。常に1分将棋になる。準決勝の対小林健戦でも華麗なる?時間の使い方を見せてくれた。

(中略)

 びっくりさせられるのは郷田の持ち時間で、この▲5五歩に21分考えて、残り32分になってしまった。相手の小林は、まだ2時間以上残しており、いくら作戦勝ちでも―と思ったが、この新鋭、やはりただ者ではない。残り10分になってからの80手を、秒読みのなか乗り切ってしまった。ただのハンサムボーイではないのだ。

 さて、この決勝戦。プロの間では、先日新人王戦で念願の初優勝を果たし”準優勝男”にサヨナラを告げた充実森下を買う声が強いようだが、筆者は、郷田の若さと勢いを買ってみたい。

 かおるクンは、決勝戦の日まで、3度の飯よりも好きなディスコ通いをやめるという。

 決戦の日は11月28日。郷田真隆が男になる日―である。

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将棋世界1991年2月号、「公式棋戦の動き」より。

王位戦

 女子大生のかおるクンは、クリスマスを前に本命の彼氏に振られ、しかも大ファンの郷田が棋聖戦で負けて、ちょう御機嫌ななめ。

 「せっかく応援してたのに」

 だって。(郷田の知ったこっちゃないのにね)

 でも、ますますおネツみたいで、

 「次のすごデカはいつ?」

 と訊いて来る。(すごデカとは、すごくデカイの略)

 「王位戦のリーグ入りがあるよ」

 と答えると、

 「いくらくらいの勝負なの?」

 とくる。まったく打算的で、これだから女は困るのだ。

 「だいたい50万くらい」

 と正直にいったら、

 「たいしたことないわね」

 お嬢さま育ちで、苦労したことがないからお金の有り難みが分からないのである。

 だが、10局合わせた対局料が318,000円の郷田にとって、大事な勝負であることに違いはない。

 C2の棋士にとって、竜王戦が当たりっこない宝くじならば、この王位戦でリーグに入ることは、競馬で穴を取るくらいの、身近なことなのだ。

(以下略)

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将棋世界1991年3月号、「公式棋戦の動き」より。

天王戦

 地方新聞愛好者の皆さんにはお馴染みのこの天王戦は、やや進行にバラつきはあるものの予選決勝通過者がチラホラ見えるようになって来た。

 女子大生のかおるクンは、ご贔屓の郷田が負けたこの棋戦にはあまり関心がかく、

 「明日からスキーなの」

 親の金でいい気なもんだな、と言いたくなるのをグッと押さえて、

 「海の向こうでは戦争をやっているというのにいい気なもんだな」

 と嫌味を言ったら、かおるクン鼻で笑って、

 「そんなこと知ってるわよ」

 「どことどこの国との戦争?」

 「馬鹿にしないで、アメリカとフセインの戦争でしょ」

 「おいおいフセインというのは国の名前じゃないぞ」

 「えーそうかー、えー分からない」

 何も分かってないのだ。

(以下略)

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この「公式棋戦の動き」、無署名なので誰が書いているのかは分からないが、非常に斬新かつ革命的な解説だ。

将棋世界1990年12月号まではオーソドックスな書き方だったので、1991年1月号から執筆者が変わったのだろう。

アプローチの仕方や文体などから、泉正樹六段(当時)のような感じもするが、何とも言えないところ。

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「10局合わせた対局料が318,000円の郷田にとって」というのは、将棋世界1991年2月号の「将棋界マネーアラカルト」で紹介されているもの。

四段になって1年目で順位戦C級2組の郷田真隆四段(当時)の14連勝中の対局料のうち、順位戦(給与的に対局料を支給されていた)を除く10局の対局料合計が推定で318,000円。

当時は順位戦のクラスを基準に全ての対局料が決まっていたため、どんなに勝ち進もうがC級2組としての対局料しか出ない時代だった。

この数年後、対局料のシステムは、全棋戦において、勝てば勝つほど対局料が上がる仕組みに変わることとなる。