米長邦雄王将(当時)「羽生善治の敗因を語る」

将棋世界1991年2月号、米長邦雄王将(当時)の「羽生善治の敗因を語る」より。

羽生善治竜王(当時)が谷川浩司王位(当時)に敗れ、竜王位を失った直後のこと。

 負けたあとは、そっとしておいてやるのが将棋ファンのたしなみというものだろう。そこへ、なぜ負けたのかということを聞かせて欲しいという依頼である。

 私が書かなければ、また違う者が書いたりして、余計羽生君がいやな思いをするかも知れない。それならば、いっそのこと私がと思い、この稿を引き受けることにした。

 かわいそうに。

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 まず、全局を通じていえることは、終盤の競り合いで、競り負けていたことである。羽生君の高勝率の原動力は、いかに不利になろうとも、終盤で勝負手を連発し、形勢を逆転、徳俵に足を残して勝ってきたというところにある。悪い将棋をことごとく逆転してきたのである。

 いわゆるチャイルドブランド達は、それぞれに特徴を持っている。

 例えば、佐藤康光にはギリギリのところを一手違いに踏み込むという特徴がある。

 屋敷はご存知の通り、殆ど異常に近い超感覚である。

 羽生の特徴は選択肢の広い指し口を常としているところにある。これを泥沼流と呼ぶ人もいるのだけれど、近頃の国際情勢にあわせて、先進国流と呼んでもらいたい。

 余裕のあるものは、常に選択肢の広い局面に持ち込む。余裕がありながら狭い選択肢しかない局面になってしまうのはヘボである。

 では、なぜ終盤で昨年までと違うことになってしまったのか。一つには谷川が冴えている、ついている、勢いがあるということがあげられる。

 対して羽生君は、全体的に疲れているようにも見受けられた。負けたからそう感じるのかもしれないけれど、ここ数年間の勝ち疲れが出たものなのかも知れない。

 しかし、彼は20歳である。年令ということも考えられないではないが、まだこのセリフは数年は早いだろう。

 私が危惧していることは、先崎と親しいらしいということだ。

 馴れない酒を飲んでいるのではないか、よからぬ遊びにつき合わされているのではないか、夜更かしをして生活のリズムが崩れたりはしていないか、私はこのことが心配で心配でしょうがないのだが、怖くてとても私の口からは聞けない。

 羽生の敗因をズバリ一点あげれば、それは昨年春の王将戦第7局の打ち上げの席にあった。王将を奪取した私は、喜びのあまり舞台の上で一物の御披露という怪挙(?)に出たのだけれども、そこに居合わせた先崎、羽生両君に「お前たちも裸になって一緒に踊ってくれ」と懇願した。

 先崎は裸になってくれたが、しかし、羽生はこれを拒否した。この時羽生の運命は決まったのである。

 この先輩の頼みがきけないような男はだめだ。

 この時、裸になってくれた先崎は、すべての悪業が許されることとなった。

 私は王将戦の最中、弟子の中川に横歩取りを教わった。将棋を教えてくれる弟子もありがたいが、一緒に裸になってくれる弟子も得がたい。ありがとう。

 全局を振り返ってみる時、羽生君としても序盤、中盤、終盤を通じて、実力を出し切ってといえばあまりに酷になるけれども、自分なりの将棋を指せているという感じはあったのではないだろうか。

 負けたけれども、しかし長い目で見れば、別に大きな痛手にもなるまい。

 問題はこれからだ。

 次の新しいタイトルを狙い、順位戦はやがて昇級し、ゆったりと構えて、更なる飛躍を期待したい。

 大事なのは、負けたあとに一緒に酒を飲んで笑ってくれる男、優しくなぐさめてくれる女だ。

 こういう人達とつき合うべきである。

 負けた者にお説教をとやかくいう者、ああやればよかったのになどという者、色々と根掘り葉掘り詮索する輩、そういうものを相手にしてはならぬ。

 そうすれば、必ずや復活する。

 私も今春は王将の防衛戦だ。又教えてくれ。その後で、気の合った連中と焼肉でもつつこうや。

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最後の一文が泣かせる。

しかし、前年の王将戦の打ち上げで、羽生善治竜王(当時)も一緒に裸になっていたらどうなっていたのだろう・・・

歴史は変わっていたのか、変わっていなかったのか、なかなか想像するのが難しい。