吉行和子「羽生さんは、異和感だらけで、それがとても新鮮で、大好評でした」

将棋世界1991年2月号、女優でエッセイストの吉行和子さんのエッセイ「未知の世界」より。

 まるで知らない将棋の世界は、私にとって、ミステリー・ゾーンのような空間だ。

 雑誌のグラビアなどで、対局の写真を見ると、真剣な顔つきの両者を前に、これも真剣な顔つきの何人かの人達が、腕を組んだり、首をかしげたり、きちんと正座している人もいれば、あぐらをかいている人もいる・・・。

 あの方達は何だろう・・・?というくらい、私はその世界を知らない。

 しかし、その静かな雰囲気と、そのくせ、なぜか、重くも暗くもない、むしろ明るい空気が、私の心をひきつける。

 子供の頃、将棋倒しごっこが好きだった。将棋の駒にさわったのは、その時だけだったから、もう何十年も、遠くはなれているわけだ。

 何故あんなに興奮したのだろう。

 子供の私には、駒が生きものに見えた。

 皆んなで、息を合わせて、美しく倒れて行く、そんな感じだった。

 「女はダバダ」というトーク番組があり、日曜日の朝、たわいない、楽しい話をのんびり語り合うという時間なのだが、そのゲストに羽生善治さんが出て下さった時は、とても面白かった。

 山田邦子さん、峰さを里さん、私という三人姉妹がいて、というドラマ仕立てになっていて、そこに、男のお客様をお招きして、いろいろお話を伺いながら、日曜の朝を過ごすという設定になっている。

 芸能関係の人が多いのだが、そういう人達はテレビの世界に生きているから、異和感がない。でも羽生さんは、異和感だらけで、それがとても新鮮で、大好評だった。

 私達3人も、その日は、フレッシュな気持ちで、知らない世界の男性にお目にかかれて、かなり興奮してしまった。

 邦子さんも、初々しくはしゃいで、最後には、羽生さんと将棋をさすことになり、その頃は、ほとんど、テレビに映っている事は忘れて、喜んだり、くやしがったりして、夢中になってしまっていた。

 羽生善治さんにお会いしてから、何だか急に将棋の記事も目に入るようになり、新聞を読む時も、目がそっちへ行くようになった。とはいえ、まだまだ、未知の出来事ではあるけれど。

 あの頃は、竜王だったのに、谷川浩司さんにその座を渡してしまったんだ、と思ったり、でも、若いんだから、いくらでもチャンスはあるんだし、勝負の世界に、勝ち負けはつきもので、そんな事、びくともしないで、あの涼しげな笑顔を保っているんだろ、と勝手に想像したりして、無責任に楽しんでいる。

 しかし、うらやましい気もする。勝ち負けは、誰の目にもはっきりと映る。

 こういう世界に生きられたら、人間、毅然と生きて行けるんじゃないか、と思う。

 私のように芝居の世界にいる者は、評価が定まらないから、自分のやっている事が、どう他人に受けとられても、文句を言えない立場にいなくてはならない。

 一つの舞台でも、観る人によって、良かったの、悪かったのと、正反対の事を言われる。 どっちも、その人にとっては正解で、受け取る方としては、ごもっとも、と思わなくてはならない。

 だから何だかビクビクしてしまい、好きでやっている事なのに、いま一つ楽しめない。

 これが勝負の世界のように、はっきりと結果が出れば、自分でも納得して、負けても、そうか、よーし、がんばるぞ、となるに違いない。

 あの写真から感じとれた、澄んだ明るさは、そういうところから来ているかな、とも思える。

 これからは、友人の冨士眞奈美にくっついて、勝負師たちの世界を覗いてみたい、と思っている。

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通常は”違和感”と使われるが、”異和感”は医療用語でカルテなどに書かれることが多い。

この文章でも、身体的・生理的な感覚という意味で異和感が用いられており、とてもしっくり来る感じだ。

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「女はダバダ」は1989年1月からフジテレビ系で日曜日の9:30に放送されていたトーク番組。

羽生善治三冠が初タイトルを獲得した19歳の時に民放番組に出演したことがあったとは、言われてみれば大いにありうることだが、初めて知った。

やはり、当時から注目度は抜群だったことがわかる。

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「でも羽生さんは、異和感だらけで、それがとても新鮮で、大好評だった」

全くタイプやキャラクターは異なるが、桐谷広人七段、加藤一二三九段、高橋道雄九段が最近バラエティ番組への出演が増えている。

現在のテレビ番組制作者も、吉行和子さんと同じように感じているのかもしれない。