今日のNHK杯戦準決勝、郷田真隆九段-西川和宏四段戦の解説は内藤國雄九段。
内藤九段のNHK杯戦での解説は2011年9月4日以来。
内藤流の解説が楽しみだ。
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将棋世界1990年6月号、脚本家の石堂淑朗さんがホストの対談「石堂淑朗の本音対談」より。
ゲストは内藤國雄九段。
石堂 内藤さんはずっと神戸ですか?
内藤 そうです。神戸の今、王子動物園がある所で生まれまして、戦争前は青田に市営住宅が建っていまして、親父が薬剤師で薬局やってました。で、戦争で疎開しまして、僕が疎開した翌日に、焼夷弾が落ちて、家が焼けましてね。戦後帰ってきてまたその近くで薬局を開いたんです。
石堂 気がついたら将棋を指していたという感じですか?
内藤 兄貴が三人とも将棋好きでしたからね。長兄が最初に始めたんですが、それが次男、三男に負けるんでやめてしまいましてね。次男、内藤啓二というのが阪大の将棋部キャプテンで、兵庫県王将とか、東海王将とかになっていますけどね。ただ、父親が昔のおやじさんですから、将棋のイメージは悪かったですね。
石堂 それは解りますね。私の所の年寄りなんかも、将棋の観戦記を初めて書いた時に、わざわざいってきましてね。将棋指しは怖いものだから、とにかくほめなきゃいかん(笑)。
内藤 (笑)。車夫馬丁のするもんだとか、今頃ない言葉ですけど、親の死に目に会えんとか。ですから、僕は親父に隠れて、内緒でやってました。そういう意味でも、谷川君以降の人達は幸せですよ。将棋に強いということのイメージがよくなりましたから。
(中略)
石堂 勝負事をあまりおやりにならない。
内藤 やりません。
石堂 それは棋士として得ですか、損ですか。というのは、大山さんが、棋士はいつもいつも勝負のことを考えていなければいけない。将棋を指していない時には麻雀をする。ゴルフより麻雀がいい。いつも座って勝負する環境に自分を置いておかないといけないと、口癖のようにおっしゃっていて。僕も時々、そうかなあと思ったり、小説家でも柴田錬三郎とか五味康祐とか、いわゆるバクチの魔物みたいな方がいるんですよね。で、勝負事の強い人というのは、世の中を見る目が少し違っていて、文学の上では凄くプラスになっているように思えるんです。僕は勝負事は全く駄目なもんで、物凄く劣等感があるんですが、内藤さんにおいてはどうなんですか。
内藤 例えば終盤戦に入って、残り何分かって聞いて、残り9分ですって記録係が答えると、10分切ったらいえっていっただろうって叱りつける棋士がいましてね。僕は横にいるから解かるんですが、残り10分ですっていってるんです。記録係は。それが聞こえていない。で、指す、残り時間を聞く、残り9分です、また指す、残り9分です、それを繰り返しながら、駒を持つ手がブルブル震えたり、そういう人がいまして、僕はそれを見ているとうらやましいという気が、多少してくるんです。そこまで、打ちこめるということが。ただ、僕も妙にさめたようないい方をしていますけど、実際は本人は気がつかないだけで、そういう時があるのかも知れませんけどね。そんなに、気を散らしていては、A級には入れませんからね(笑)。
石堂 そりゃ、そうです。
内藤 でも、将棋にそこまで打ちこめる人、はたの目も気にしない、そういう人がうらやましく思えますね。例えば、石田和雄君が扇子で頭をポカポカとやるでしょう(笑)。あれを見てると、ああ僕もあそこまでいけたらいいな、という気になりますけどね(笑)。
石堂 石田先生は扇子会社から表彰されなければ・・・(笑)。
内藤 さっきの大山さんの麻雀の話ですけど、升田さんは囲碁でしたよね。僕は奨励会の頃から升田九段に対してはミーハー的なファン心理を持っていましてね、タイトル戦に記録係で行っても、観戦に行っても、前の晩なんか遅くまで碁を打ったりして、将棋終わったあとに碁で、ヨロヨロになっているんです。そこまでせんでもいいじゃないかと、思うんですけど、必ずやる。升田さんの碁、大山さんの麻雀、あの両巨匠の考え方は、趣味を持たなければいけない、その趣味が少なくとも本職にマイナスにならないようにということが、働いているんじゃないかと思うんです。それが大山さんの麻雀での勝負勘だろうし、升田さんの碁も頭を使ってかけ引きをやっていますからね。両巨匠がそれをやるもんだから、将棋界も長いこと、麻雀派、碁派に分かれて、将棋終わったあとによくやっていたもんです。今は、それをあまりやる人はいなくなりましたが。
石堂 そういえば、麻雀は減りましたね。
内藤 麻雀も酒も碁も減りました。
石堂 なぜなんでしょう。
内藤 やっぱり社会現象でしょう。今は若いサラリーマンや大学生もあまり麻雀をやらなくなった。それは、他に車だとか海外旅行だとか、やらなきゃならないことが増えましたからね。昔の将棋指しは、飲む打つ買うのうち、二拍子揃った人は何人もいました。三拍子揃ったのは一時の芹沢さんぐらいですがね(笑)。三拍子っていうのは無理なんですよね。対局の前の日に遊郭から来たなんて、先輩から聞いたこともあります、僕はそういう話を酒を飲みながら聞くのは大好きでしたけどね。今の若い人達は、そんな先輩達の話は聞きたくないでしょうけどね。
石堂 昔は若い人が先輩達の昔の話を聞いて、キャッキャ騒いだり、黙ってニヤニヤしたりしていたものですが、最近はそういう雰囲気がなくなりましたね。
内藤 前の晩に大酒を飲む人は昔から少なかったんですが、終わった晩は麻雀か碁か酒でしたね、徹夜で。昔は持ち時間も長かったから、2時、3時に家に帰りにくいということもあったんでしょうけどそのまま真っすぐ帰る人は、非常に稀でした。将棋というのは囲碁と違いまして、最後の5分間、10分間というのが一番興奮するんですよね。だから、そんな状態で勝負がつくから、そのまま帰っても眠れないということもあります。それで、気分転換と称して、皆遊んだもんですけど。今の若い人は、真っすぐ帰る、気分転換がいらないみたいなんですよね。
(中略)
内藤 昔の先輩の将棋は横で見ていても面白かったですよ。形勢の優劣がすぐに解りましたからね。隣の部屋にいても、民謡が聞こえてきたり、花村さんみたいに踊り出したりね(笑)。升田さんも悪くなると煙草は根元まで吸う。脇息は前にくるしね(笑)。ところが、今の活躍している若い人達というのは、朝第一手目の▲7六歩とする手と、夜中の秒読みの中の手つきと一緒ですからね。ペチャッ、ペチャッってね(笑)。
石堂 若い人同士の将棋の観戦はつまらないですね。一日、何もいわないで、ジーッと座っているだけだから。
内藤 結局、頭の中で指しているんですね。これはいいことなんだと思いますけど。昔の人が面白いのは、もう亡くなった岡崎さんとか、本間さん、大野さんと皆そうですが、苦しい局面になったら、体をよじって、体で絞り出すような手を指していましたものね。今は、闘志はあまり表に現さない、だけど頭は働いているんです。頭で戦っているから、強いのは本当に強いですよ。
石堂 三位一体ということもあるから、身をよじってやってもらいたいと思うんですが(笑)。観戦記者というのは、これからいらなくなるんじゃないですか、手はもともとプロじゃなきゃ読めないんだし。皆加藤さんみたいに空咳をしてくれる訳でもないし、ズボンも引っ張り上げない(笑)。トイレに立ったから、これは中原先生いよいよ読み切ったかとかこっちはそれを頼りにしているのですが、新人類棋士達は、何もしない。本当に淋しいですね。
内藤 いつか、山田道美さんが、テレビ将棋で負けた方がニコニコしているんじゃつまらないだろうから、プロレスみたいに、口に血ノリを含んで、負けた瞬間にそれをプーッと吹いたら面白いし、視聴率も上がるんじゃないかといい出しましてね、山田さんがいうから面白いんですが(笑)。僕もいつか、テレビ将棋で負けて、ちょっとわざとブスーッとしてみたことがあるんですよ。そしたらある日タクシーの運転手に、内藤さんこの前見ましたでえ、と声かけられまして、その運転手のお母さんというのが僕のファンらしくて、そのお母さんが内藤さんあんな子供みたいな相手に負かされて、ブスーッとしているようではいかん、ニコニコせんと、といっていたというんですよ(笑)。だから、人それぞれ、色んな考えがあるんですね。
石堂 本人を前にして、いいにくいんですが、内藤さんも少し勝ち負けにこだわりがあれば、とっくに名人になっていると思うんですけど。それは同時に勝ち負けにこだわり続ける棋士とは合わないことにもなり、高橋さんに負ける、大山さんにも負ける。大山さんなんかは、最善手よりも相手を迷わせて解らなくする手を指す、という所があると思うんですが、それはあくなき勝負への執念ですよね。ところが、内藤さんはこの手をやれば確実に勝つけれど、この手は面白くない手じゃないか、逆にこっちを選ぶと剣が峰になるけれどこちらの方が芸を楽しめる、となると負けてもいいから芸を楽しむ方を選ぶという気がするんですが、どうなんですか。
内藤 いや、それは殆どないです。やっぱり勝ちたいですよ。
石堂 じゃ、負けたくないというので、絶対に打てないような歩を平気で打つような人もいますが、それはできないでしょう。
内藤 それは、ちょっとできないですね。僕はなまけ者か、いい加減な人間なのかも知れませんけど、一生懸命やるということに、照れる時があるんですよ。やらなきゃいかんということは解っているんですが。
石堂 内藤さんは子供の頃、家にお金があったんじゃないですか。大山さんみたいに口減らしのために家をほっぽりだされたというんじゃないでしょう(笑)。
内藤 (笑)。ただ、僕が一番負けている人が大山先生で、棋風は正反対に位置するわけですよ。客観的にみても。ところが、非常に読み筋が合うんですよ。一番とはいいませんけども、一番合う何人かの一人にあの先生が入っているんです。で、案外合わないのが米さんです。合わないもんだから、戦っていて面白くなってくるんですね。読み筋が合うと面白くなくなる時があるんです。米長さんと僕の読み筋が合って、大山さんと私は棋風が正反対だから合わないと思われる方が多いと思うんですが、実は逆なんです。こんなこというと、なにをちょこざいな私の将棋は内藤の何倍も苦労してきとるわい。といわれるかも知れませんが(笑)。実際やっていて、そう思うんです。読み筋が合って負けていますね(笑)。
石堂 それは解りますね。読み筋が合うと、どっかで気合が抜けることがあるでしょうし、違うと緊張しますよね。次何が飛んでくるか解らないというスリルとサスペンスこの内藤将棋の真髄ですから。読み筋が合えば、スリルとサスペンスの気分になれないのでは。
内藤 過去、調子よくタイトル取れた時というのは、いつも大山さんを尊敬している時ですね。
石堂 あ、そうですか。
内藤 こういう、将棋界最強の人と、ちょっと年はずれたけれど、同世代で戦えて幸せだなあと思っている時だけ、勝たせてもらっていますね。逆に対戦成績は悪いけれど、半分ぐらいこっちの勝ち将棋じゃないかとか、いい加減に投げたらええのにとか(笑)、そういう気持ちがある時には必ず負けています。
石堂 へえー、やっぱり将棋の神様っているんでしょうか。内藤
内藤 初めから無心の人がいるんですよ、そういう人はうらやましい。僕は一遍、頭の中にあるものをみんな叩き出さなければならないんです。闘志にしても、初めからある人がいる。僕の場合闘志を燃やさなきゃならない(笑)。無駄な労力がいるんです。
石堂 何か聞いていると、インテリの悲哀のようなものを感じますね(笑)。初めから闘志がある人、それは使い古されたいい方ですけど、やっぱりハングリー精神と関係があるように思えますね。
内藤 これはいかんと思うけど、非常に長手数になってきて、秒読みで一生懸命にやっている時、それは苦しいけど一番棋士にとって幸せな時でもあるわけですよね、その時にどうも頭にさめた部分があって、自分達は一生懸命戦っているけれど、こんな長い将棋を最後まで並べてくれる人が日本に何人いるかなあ、と思っちゃうんですよ。実際、200手を超えた将棋を並べる人は、殆どいないでしょう、奨励会員でもやめちゃうぐらいで、商品価値もないんです。ただ長いばかりで、読んでいる人がいない小説もあるわけでね(笑)。十代二十代の頃はただ勝ちたいでしたけど、三十代半ばの頃からふとそんな気がしてきまして、それは勝負の上からはマイナスですよね。
石堂 時々思うんですが、構造としては将棋は短編小説で、碁は長編小説。短編小説というのは、一行一行、全部に効果がなければいけない訳です。そして最後の一行で画竜点睛の効果をあげる。内藤さんの将棋は見事な短編小説で、大山さんや淡路さんは長編作家の体質で将棋を指している(笑)。
内藤 それはそうですが、勝負の世界は一言でいえば「勝てい!!」ということなんですよね(笑)。
石堂 長編だろうが、短編だろうが。
内藤 勝つのが一番なんです。
石堂 それはそうなんだけど、こちらは読者として見る訳で、やはり次はどうなるという、胸躍るものが欲しいです。シナリオとはどういうものかと聞かれると、次はどうなるのかと、一時間でも二時間でもズーッと思わせて、最後にあーやっぱりかと泣かせることだ、と答えるんですよ。すべてのシーンが終わるたびに、次はどうなるのかと思わせる。サスペンスがなければ駄目だと。夏目漱石の小説だってそうじゃないかと思うんですけど。
(中略)
石堂 先程、谷川さんのお顔を拝見してふと思ったことですが、あの人は一度生まれ育った所を離れてみてはどうかと思うんですが。男子は一度は故郷を出なければ、いけないのではないかと。
内藤 意味は解りますけど。例えば、今、若い人が勝っていて年配の人が負けている。将棋に勝つ、勝率を上げる秘訣というのは普段将棋以外のことに神経を使わないというのが基本です。独身者が勝つということは、女房と生活しているよりも、母親と暮らしている方が気を遣わないということだと思うんです。女房には機嫌とらにゃいかんし(笑)。
石堂 ソクラテスの妻じゃないけど、女房の顔を見たくないから、ギリギリ持ち時間一杯まで頑張るということもあるかも知れませんよ(笑)。
内藤 それはいるでしょうね(笑)
石堂 神戸を出るよりも、谷川さんはそろそろ結婚した方がいいですね。
内藤 それは非常に大事でしょうね。昔、本間爽悦という先輩に、「内藤君、調子のいい時に結婚するのは、やめときや」といわれたんです。「もったいない、スランプに陥って、どうにもしょうがない時に結婚しい」と。というのは、結婚は一番環境が変わりますからね。それを聞いて、結婚まで将棋にあてはめるのか、そこまで将棋に打ちこんでるのかと思って感心しましたね。
石堂 なるほど、スランプの時に結婚する。リアリズムですナア。
内藤 この本間さんという人は、お酒の好きな人で、ある時、へべれけに酔っ払って、交番に連れて行かれたことがあるんです。飲み屋でケンカなんかして。大阪の職員が連れに行ったんですが、外にも本間さんの声が聞こえてくるんです。「オレは七段の本間や、お前らの中でオレに二枚で勝つやつおるか、誰でもかかってこい」って(笑)、そこでまた私は尊敬するんです。酔っ払ってへべれけになって、それでもまた将棋か、そこまで打ちこんでいるのか(笑)。そういう面白い先輩がおりました。
(以下略)
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石堂淑朗さんが語った、「ソクラテスの妻じゃないけど、女房の顔を見たくないから、ギリギリ持ち時間一杯まで頑張るということもあるかも知れませんよ」。
このことで思い出すのが、イギリスで起こった産業革命のこと。
私が学生時代に読んだ本に、「なぜ、イギリスで世界最初の産業革命が起こったか」について、要約すると次のようなことが書いてあった。
- イギリスの食事が美味しくない
- イギリス人の女性は一般受けするタイプではない
このような生活環境の中、働く男たちは家庭に何の楽しみもなく、早く家に帰ろうという気さえ起きず、仕事に楽しみを見出すしかなかった。その結果、技術革新などが進み産業革命を促進させたと言っても過言ではない。
イギリス料理が美味しくないのは古来より有名であり、
世界の三大失敗料理とは?
3位・・・香辛料を入れ忘れたインドのカレー
2位・・・ワサビを入れ忘れた日本の寿司
1位・・・イギリス料理
というジョークもあるほど。
私もロンドンへ一度だけ行ったことがあるが、現地の料理は想像以上に美味しくなかった、と胸を張って証言できる。
また、現代はそうではないのかもしれないが、イギリス人女性が魅力的ではない、質実剛健、などと古来は言われてきた。
私がロンドンへ行ったのは24年前の夏だが、たしか繁華街でも、服装も化粧も地味な雰囲気の女性が多かったように思う。
ちなみに、クラブ(会員制の集まり、社交・親睦団体)も、イギリスが発祥の地と言われている。
Wikipediaより。
イギリスでは16世紀の「フライデー通り」が最初の近代的クラブとされているが、クラブという組織形態が普及したのは17世紀後半になってからである。当時、喫茶店と社交場の機能を兼ね持つコーヒー・ハウスがロンドンを中心に増加していたが、コーヒー・ハウスで交流していた客のうち、共通の趣味・話題を持つ者同士でコーヒー・ハウスの一室を借りて定期的に集会を開く人々が現れた。これがクラブの起こりである。コーヒー・ハウスがそうであったように、クラブもまた、上流・中産階級の男性を会員とし、女性会員は認めていなかった。コーヒー・ハウスでの盛んな政治談議は、当然ながら多数の政治クラブの結成へと帰結した。また平行して、文学、芸術、クリケット、ボートなど様々な趣味・嗜好に対応したクラブもこの時期に見られ始めている。
このクラブも、産業革命と同様、家庭に楽しみを見い出せない男性が多かったため誕生したと、学生時代に読んだ本には書かれていた。
たしかに、女性会員が認められていなかったというのも象徴的だ。
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しかし、だからと言って、ソクラテスの妻のような女性と結婚することがビジネス成功への近道かというと、そういうことでも絶対になく、世の中の塩梅加減の難しいところだ。
学生時代に読んだ本
色めがね西洋草紙 (1981年) (角川文庫) 価格:¥ 273(税込) 発売日:1981-06 |