将棋マガジン1995年12月号、佐藤紳哉三段(当時)の自戦記「エール交換」より。
8月1日、僕は三段になった。そのため10月の三段リーグまで夏休み。今まで月に2回あった奨励会が2ヵ月以上休みとあって今までにない解放感の中に僕はいる。
この原稿を書いているのは10月の初めだけど、今年の夏はそういう訳で今まで以上に楽しめたと思う。いつもこうならいいと思うけど、そうもいかないか。また、普段考えられないことをいろいろと考えるチャンスだったと思う。その辺の18歳の気持ちを、二段時代の最悪の将棋、対佐藤歩1級戦(香落)とともに書いていきたい。
奨励会は1例会につき2局で(級位者は3局)1勝1敗では何の意味もない。2連勝してやっと喜べる。それでも次の例会で負けてしまったら元も子もないので緊張の糸を張り続けなくてはいけない。つまり本当に喜べるのは昇段した時ぐらいだ。よって奨励会で幸せな人はほとんどいないわけで、皆恐怖と絶望と戦っている(と僕が思うだけで本当は違うかもしれない)。この将棋を指した頃が二段時代で一番苦しかった。
さて、1図を見てもらおう。
注目してほしいのは相手の作戦。普通はありえない作戦だ。バカにしているのかと思ったし、ラッキーと思ったし、勝ったと思った。
二段と1級では順当に行けば二段が勝つはずだ。しかし、順当勝ちがないのが奨励会だ。少しでも心にスキができれば勝てない。それは分かっていたけれど、この時浮き足立っていたのは事実だろう。
僕は奨励会員という顔の他に高校生という顔もある。
高校へ行ってよかった事は、まず気分転換になること。勝負の世界とは全く違う異次元ワールドで(普通の人が見たら将棋界が違う世界なんだろうけど)安らぎを与えてくれる。そして友達と話している(遊んでいる)時間が何より大切な気がする。だけどいい事ばかりではなくて、たまに授業を聞いてみると(あくまで何か人生にプラスになれば、知識になればと思って)教師は、
「ここはテストに出るから重要だ」
みたいな事を言って僕をシラケさせてくれる。結局テストのための授業なんだね。まあ今の世の中テスト、テストの学歴社会だからしょうがないか。将棋界は学歴の全く関係ない実力の世界だから僕は憧れたのかもしれない。
2図までは順調だ。作戦勝ちから優勢になったと思った。
ここで相手の佐藤歩君の紹介をしよう。彼は温厚な性格で誰からも慕われるいい奴だ。さらに背も高くて格好いい(ちょっとおだて過ぎた。その気になるなよ)。
3図。△6二銀。この手でいっぺんに優勢が消えた。当然△5三銀と打つべきだった。
僕だってそれは分かっていた。しかし、そう打たせたのは油断であって、また「早く勝ちたい」の一番危険な心だった。「5三に打てば馬引いて粘られる。しかし、6二に打てば相手は攻めてくる。斬り合いになればもし少々悪くなっても負けないだろう」。僕は相手の将棋をナメていた。ここはじっくり料理する「心の余裕」が必要だった。
将棋界はもっともっと変わっていかなくてはいけないと思う。最近少しずつ良くなってきたけど、暗い、オヤジという偏見は根強く残っている。僕の理想は、若い女の子の黄色い声援のとびかう対局。若手棋士イコールアイドルなんて時代がきたら最高だ。そのためには棋士は盤外でもどんどんアピールしていかなくてはいけない。僕も四段になったら歌って踊れる棋士を目指したい。ただ、それまでは(奨励会員は)何をやっても意味がない。苦しい戦いをただ勝つためだけに頑張りたい。
投了図を見てもらおう。
大差だ。この将棋は3図がすべてだった。いや本当の勝負所はその後だった。しかしあの浮ついた心では勝てる訳がなかった。負けると何とも言えない絶望感を感じる。つらい、苦しい、もうどうでもいい・・・。
僕が誌上で味わった初めての屈辱、それは8月号の佐藤和俊三段の自戦記。「俺は天才だ」から始まって(自分のことを天才なんていう奴はバカが多い)指し手を散々けなして(コノヤロー)「順当だけど嬉しかった」で締めた(バーカ)文章。読んだ当時は殺意に近いものさえ感じた。そしてこいつだけにはもう負けられないと思ったし、まず三段に追いつかないことにはしょうがないと必死だった。本当に必死だった。
そして三段になった。少し気持ちが変わった。
もしかしたら三段に上がれたのは彼のあの文章のおかげだったのかもしれない。あの文章は僕へのエールだったんだ。
それなら僕も彼にお礼のエールを送ろう。
「たまたま勝ったからって調子に乗るなこのタコ。今度三段リーグであたったら実力の差を思い知らせてやる」
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18歳と17歳の奨励会員のぶつかりあう火花。
奨励会員同士の形に現れた対抗意識。
震えてしまうほど劇的だ。
若いって素晴らしい、そして奨励会は厳しい。
→「おい、有段者、俺に酌しろ」
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将棋順位戦データベースによると、佐藤紳哉三段(当時)-佐藤和俊三段(当時)戦は、
1995年度後期三段リーグでは佐藤紳哉三段が、
1996年度前期三段リーグでは佐藤和俊三段が、
1996年度後期三段リーグでは佐藤紳哉三段が、
1997年度前期三段リーグでは佐藤紳哉三段が、
勝っている。(佐藤紳哉三段は1997年前期リーグで四段昇段を決める)
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佐藤歩1級(当時)は、佐藤紳哉三段、佐藤和俊三段と同時期に奨励会に入会。年齢も二人とほとんど同じ。1997年に初段で退会している。その後、アマ棋界で活躍。
社会人団体リーグ戦で私が所属していた「原宿カサブランカ」チームにも加わっていただいたことが数年あって、その時はチームが3部リーグから2部リーグに昇級し、なおかつ佐藤歩さんが参加されている間は数年間2部を維持し続けたほど、超強力な助っ人だった。
佐藤歩さんが結婚で東京から離れ社団戦に出場しなくなった途端に、チームは3部へ。
佐藤紳哉三段が書いている「温厚な性格で誰からも慕われるいい奴だ。さらに背も高くて格好いい」という形容が、まさしく佐藤歩さんを100%言い表している。
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今日は電王戦第2局、佐藤紳哉六段-やねうら王戦が行われる。→ニコニコ生放送
佐藤紳哉六段を心から応援したい。