将棋世界1992年10月号(大山康晴十五世名人追悼号)、羽生善治棋王、森下卓七段、先崎学五段(タイトル、段位は当時)による座談会「大山将棋を大いに語ろう」より。
神様と指す
先崎 大山先生の最後の勝負将棋はなんだろうね。
森下 今年のA級順位戦での二度目のガンの手術後の三連勝でしょう。
羽生 三連戦の初めの対高橋戦に勝って残留を決めただけでも凄いことだったのにその後も勝ってプレーオフに持ち込んでしまいましたからね。
先崎 でも、二度目の手術の後は、何が何でもっていう感じだったのかな。何か違う感じがしたな。
森下 大山先生が亡くなった後のいろいろな報道を読んでみて、先生はガンを完全に治癒できなかったということを自覚されていたように思います。ある程度自分の死期を知っていて、将棋を指していたのではないかと……。無理をせずに静養した方がよいことは承知の上で順位戦に出た。
先崎 自分の命が残り少ないことに気づいて、無理を押してでも将棋を指す道を選んだっていうのは、もうこれは、人知を超えた戦いじゃないかな。何か崇高な感じがするよね。最終戦の谷川さんは、対局の後で、指していて今まで味わったことがない不思議な気持ちに襲われた、と言ってたもの。大山先生は、その時、神様と将棋を指してたようなものですよね。人知を超えてそれこそ神の領域に触ったんじゃないかな。
羽生 そういえば振り返ってみても、血なまぐさい、人間と人間の勝負という感じは確かにしませんでしたね。
先崎 とすると、大山先生が人間として指した最後の将棋っていうと、やはりこれか。去年のA級順位戦対青野戦。
羽生 そうそう。終盤の大詰めで残り15分になった大山先生が、最後の2分まで考えて指した手が印象に残っています。
森下 これも負けた方が絶望という将棋でした。青野さんの王様が詰みそうだけどどうしても詰まない。詰みがないと負けそうだという場面でした。
先崎 △7七歩と垂らされて▲4四歩△5四玉(6図)と迫った局面。いや、もう、ここまででもう200手近く戦っているんだから……。
森下 今、7九にいる王様は、2八に囲ってあった。
先崎 僕達が知っている限り、大山先生が終盤でぎりぎりの競り合いをするというのは滅多にないことだよね。
羽生 そう。詰む詰まないで勝負をつけた将棋は少ないんですよね。
森下 マラソンに例えると、最後のトラック勝負には持ち込まず、その前に決着をつけるようなレースをするんです。
先崎 35キロ地点の給水のスキにさっと差をつけたりしてね。
羽生 たとえ一手違いになることはあっても、そういう時は分かり易い一手勝ちですよね。この将棋のように難解な終盤になることは滅多にないです。
先崎 さて、6図ですが、青野さんの王様は詰みなし。一方、自玉は一手詰め。これはピンチなんてものじゃない。
羽生 ここで▲6九銀と打った手が凄いです。普通ちょっと打てません。
先崎 続いて青野さんが△9五桂と打つのを見て、まさにノータイムで王様を上がった。ここで△7八歩成▲同銀△8七桂成とすれば勝ちだったのに、その順がすぐに見えずに青野さんは△8九と▲9八玉△9九とと王手王手の時間稼ぎ。
森下 王手王手の千日手は王手側が手を変えなければいけないけど同一局面三度までならその間の秒読み時間が稼げる。
羽生 そしてその秒読みの中で、青野さんは勝ち筋を発見したのだけれど……。
先崎 その時は、もう三度目を過ぎていてもう一回やると反則負けになっちゃう。つまり、元の局面に戻せなくなってたんだ。それで時間もないし、慌てて△8七桂成としたけど、▲同玉で今度はもう全然先手玉が寄らなくなっちゃった。
羽生 ▲6九銀には△5八角成でも勝ちだと思います。
先崎 でもその手って、なんか指しづらい手なんだよね。詰めろじゃないし。
羽生 それでも勝ちそうだけど。詰めろじゃないんでは指しづらい。
森下 そういうプロの感覚というか、相手の気持ちをお見通しなんですね。
羽生 △5八角成があることも、その手が指しにくい手であることも、大山先生は分かっていたと思いますよ。
先崎 ほんとに凄い勝負師だったね。
羽生・森下 同感です。
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先崎学五段(当時)の「大山先生が人間として指した最後の将棋」という表現が絶妙だ。
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将棋の神様がいるとしたら、正しい手ばかりを最初から最後まで指すのではなく、大山康晴十五世名人のように相手が絶対に間違えそうな手をどんどん繰り出してくるのではないだろうか、と思えてきた。