泉正樹四段(当時)「さわらぬ彼に不満あり」

将棋世界1994年2月号、泉正樹六段(当時)の「後手必勝 急戦矢倉」より。

さわらぬ彼に不満あり

 いきなり登場の意味深なこのタイトル。こんなんであの強靭な矢倉囲いを絶滅させる事ができるのか?とお嘆きの皆様方、実はこれが、意外や意外、急戦矢倉の突撃構造に相通ずるから世の中は不思議。

 では、一体どんな風に結びつくのか、私のささやかな恋物語からちょっと聞いていただきたいと思います(柳亭痴楽調)。

 十七麻雀打ち過ぎて、十八女性を意識する。あの頃目覚めて立ち上がり、未だに家庭を持てなくて、失敗ばかりではや三十路。あ~それなのに、とつづり方狂室は続くのですが、これでは痴楽師匠に鬼失礼。自身なにが失敗の種なのか反省解明また反省。

 十九の頃だったろうか、私のボロアパートの真向かいから懐中電灯の赤いシグナル。

 初めは麻雀ばかりやっている騒々しい部屋に対しての忠告かな、と思っていたが、静かな時にも照らされるので、こちらもあちら同様ふざけ半分ライトを放ってみた。

 すると、普段ベランダで洗濯物を干している中学三年生ぐらいの薬師丸ひろ子によく似た女の子だった。

 彼女は、私にもその気があるのを知ると身ぶり手ぶりで想いを表現しだした。

 次の日から私はこの合図が気にかかり、しばらく純愛めいたロマンスが続く事を望み、自然と麻雀の牌を鬼引く力も弱まった。

 しばらく経って彼女が高校に入学すると、両親に私の事を話したようだ。「泉さんて、将棋と麻雀ばっかりやってて、全然お仕事しないのよ」てな具合に。

 これに対して私は、「今時の女の子は進んでいるとは聞いてたけど、随分気が早いな」と手をつなぎながら思ったものでした。

 さらに彼女は、「いまから泉さんの部屋に行きたいな~」なんて少々甘えながら腕にすりよったが、そこは宿(ジュク=新宿)の雀ゴロをも寄せつけない雀聖。ドキドキ、ワクワク、ボキボキしながらも「今日はもう、ほら夕日が素晴らしい。カラスも鳴いているから家まで送るよ」と硬派をきどるのであった。

 正直もったいない気持ちもあったが、なにしろ相手は高一の少女。もう少し成長してからにしよう、と冷静沈着。

 誘惑してもこの調子だから、彼女は勝負手を放ってきた。「こんど、泉さんの誕生日、うちでお祝いしてあげる。ねえケーキはどんなのがいい?」と積極果敢。

「でも僕明日、虎の穴の凄腕の総帥とデスマッチなんだよな~」

 彼女「それだったら、早く子猫ちゃんみたいに良い子にさせてくれればいいでしょ」なんて取り合ってくれない。

 ともかくこんなうれしい気持ちもない。四角いジャングルも早めにかたをつけなくてはいけなくなった。

 ゴングは正午の鐘とともに鳴り響いた。虎の穴の総帥とは、御存知!! 棋界ナンバーワンの野本虎次先生。これだけで私の苦戦は予想されるのに、あとのお二人は当時誰がかかっていっても身ぐるみ剥がすのをお得意としている雀豪!佐藤義則先生。もう一方は、3人プロ雀士に囲まれても、2着は断固死守するタイプ!のゲームソフトでおなじみのマリオこと武者野勝巳先生。

 強者三人を目前にし、なんとかかんとか、夜の7時30分までに愛しの”ミカちゃん”の家まで戻らなければならない。

 果たして、恋物語はいかなる展開を見せるのか。野獣のごとく卓上をかけめぐりつつ来月号へ続く。

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泉正樹七段の誕生日は1961年1月11日。

泉七段が19歳の時にミカちゃんが高校に入学したとあるので、これが1980年の4月。

泉七段が四段になったのが1980年8月20日。

麻雀の日が1981年1月11日、泉四段の二十歳の誕生日。

このような時の流れとなる。

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女子高生。

私は高校時代は男子校だった関係で(昔の宮城県は男女別学)、高校在学中に女子高生と会話をしたのは3回くらいしかなかった。延べ30分。

大学に入ると女子高生と話す用事もないし、社会人になってからはなおさら女子高生と話す必然性はなくなる。

そう考えると、私の人生の中で「現役女子高生」と接した時間はほとんどないに等しいことになる。

”現役女子高生と話をしたことがないランキング”というものがあれば、私はかなり上位に食い込むのではないか。