屋敷伸之五段(当時)が「笑っていいとも!」を見ているうちに思いついた一手

近代将棋1990年9月号、屋敷伸之五段の第56期棋聖戦〔中原誠棋聖-屋敷伸之五段〕第3局自戦記「ホッとした一勝」より。

 「まずい、このままではストレートで負けてしまう」

 第3局を前にして、どうしようと思った。

 1局目は後手番で、どうなるかわからなかったが、相掛かりになった。中原棋聖得意の「5六飛戦法」に対して用心したつもりがかえって誘発した結果になってしまった。結局、飛車、角の使い方に苦しんで、一方的にやられてしまった。

 2局目は先手番ということで、当然相掛かり。ずっと角道を開けずにいたが、これは試してみたかった作戦(B図)だった。対策がわからなかったが本譜のような感じだと思った。向こうからの角交換は意表を突かれたが、後にもっと意表を突かれる手が…。いくら攻めても全然とどかない感じで、最後は完璧に切らされて、またも完敗。

 1局目は簡単につぶされ、2局目は完璧に切らされる。恐ろしいほど強い。

 3局目はいったいどうすればいいのだろう。おまけに後手番である。しかし、作戦を考える間もなく、もう3局目は目の前に迫っていた。

 3局目は天童の天童ホテル。前日から現地入りしなければならないわけで、前日(7月4日)は昼ごろい起きて、ゆっくりと飛行場へ向かった。天童までは飛行機で40分~50分とのこと。

 飛行場に着くと、もう何人か関係者の方がそろっていた。その後も続々と来て、最後に中原棋聖登場。さすがに、堂々たる態度で、またもビビッてしまった。

 飛行機に乗り込んでみると、ずいぶん大きいのに人はがらがらで、少しもったいないような気がした。

 寝ているうちに、あっというまに着き、空港からも車でかなり近かった。

 着いてからしばらくして盤駒の点検と対局室の点検。とてもいい部屋と盤駒で、口をはさむこともなかった。

 しばらくして、6時半から地元の方も交えての前夜祭。これは、いつの時も緊張し通しである。場違いなところにいるのじゃないかと。そうこうしているうちに、2時間ぐらいたって(よく食べた)終わり、自室に戻った。

 部屋に戻ってからは、テレビを少し見てから寝ようと思った。10時ごろ床に着いたのだが、さすがに早いし眠れない。しょうがないのでなんとなく外へ出てみた。当たり前だがどこも暗くて、明かりのついているところは少なかった。「ニコマート」ぐらいが明るかった。結局特にどうということもなく、変なお兄さんにつかまりそうになったが、逃げた。外から戻り、エレベータに乗ると、3階で中原棋聖とばったり。棋聖は「おっ」と言い、少し驚かれた感じだったが、後は泰然としていた。僕も入って来たときは驚き、妙なことになったなと思いながら外を見ていた。そして、棋聖が降りたあと、ゆっくりと降りていった。

 その後は意外とぐっすり眠れた。変な夢を見たが、もう憶えていない。

 次の日は、7時に起きて、7時半に朝食。8時から着付けだったが、まだ一人で着物を着られない。早く一人で着なければと思う。

 10分前に対局室に入ったが、寝グセが直ってなくて、顔色も悪かったようだ。自分自身相当緊張していたようだ。

 中原棋聖も5分前ぐらいに入室。いよいよ対局開始を待つばかり。

 9時になり対局開始。中原棋聖が▲2六歩と突かれた。どうしようか。相掛かりか、横歩取りか、とか、他のこともいろいろ考えた。

 結局、△8四歩。流れにまかせることになった。以下は普通の手順で、△3四歩と角道を開けた。1、2局目共に角道を開けずに負けたので早めに開けてみた。

 実はどこかで△9四歩と突きたかったけどひまがなかった。しかし、この歩を突かなかったのが、後々こちらにいい結果になるとは、将棋とはわからないものだ。

(中略)

屋敷中原1

 とたんに、▲3三歩(2図)と手裏剣が飛んできた。これは一応読んでいて、△同桂と取ったが、そこでいったん▲6六角と緩めるのが絶妙の手順で困った。少し考えているうちに昼食休憩になった。「これはまずいことになった」と思いながら飯を食べた。「笑っていいとも」を見ているうちに、△8五飛(3図)と浮けばこちらも相当ではと思いつく。

 10分前に対局室に向かっていろいろ読んでみた。再開してから△8五飛と浮いた。

屋敷中原2

 この手の狙いは△3六歩~△3五飛。あるいは本譜の端寄りから△9四飛など。

(3図からは、▲1五歩△同歩▲7七桂△9五飛▲1五香△同香▲1四飛△3六歩▲7五歩△1三香▲3四飛△2三金▲8四飛△9四飛)

(中略)

 以下本譜のように進み、5七まで桂が成れれば普通は負けないのだが、なかなか難しい(6図)。▲6九玉と逃げられたところで、夕食休憩も近かったことで、休憩を使ってたっぷり考えた。△7七歩以下はどうにか寄っていたようだ。

屋敷中原3

 こうして、なんとか第3局を勝ったが、終わったあとはかなり疲れた。しかし、勝ったおかげで、気持ちのいい疲れ方だった。

 とにかく、ストレート負けをまぬがれたことでほっとした。次の対局場、有馬温泉に行けるのでうれしい。天童ではさくらんぼがおいしかったが、次は何が…。いやいや、そんなことを考えるよりも先に将棋のことを考えなければ。

 次の第4局は先手番。いまだに作戦は考えていないが、たぶん相掛かりになるだろう。なかなか良くはならないが、自分のペースで指せるのが大きい。そこでなんとかして、新潟の第5局にもできればいきたい。そこまでいければ…。次もまた大きな一番だ。精一杯がんばって、なんとか勝ちたいなあ。

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この淡々とした不思議な心地よさが、屋敷伸之五段(当時)の文章の持ち味だ。

以前取り上げたことのある屋敷伸之六段(当時)のエッセイも、このような雰囲気に満ち溢れている。

屋敷伸之六段(当時)の同窓会

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相掛かりなので、中盤の一手一手の指し手の意味は理解するのが難しいが、△8五飛が「笑っていいとも!」を見ているうちに思いついた手とは面白い。

「森田一義アワー 笑っていいとも」資料室 で調べてみると、この対局が行われた1990年7月5日(木)のテレフォンショッキングのゲストは柴田恭兵さん。

また、この時代の木曜日のレギュラーは、笑福亭鶴瓶さん、ウッチャンナンチャン、田嶋陽子さん、ゆうゆ、横森良造さん、神田利則さん。

どのコーナーを見ていて思いついたのだろう。

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屋敷伸之五段(当時)は、この後、第4局、第5局と連勝して、棋聖位を奪取している。