谷川浩司名人(当時)「歌わないと感想戦のとき一言もしゃべりませんからね」

近代将棋1990年6月号、故・池崎和記さんの「福島村日記」より。

某月某日

 若松一門後援会主催の「井上五段昇級祝賀会・谷川名人激励会」に出席。2次会、3次会とハシゴしてカラオケ合戦。私は例によって拍手係。久しぶりに脇六段の歌を聴く。ちっとも向上してないなと思う。

 私は昔からカラオケは歌わないけれど、以前、谷川名人に脅迫されて、無理やり歌わされたことがある。その脅し文句は「歌わないと感想戦のとき一言もしゃべりませんからね」というものだった。命を削る思いをして歌い終えたら、名人いわく「うまいじゃないですか。脇さんと違って、ちゃんとメロディーは合っているし」(これ、ホメてるのかなァ)、ともかく脇さんの歌を聴くとホッとし、少しは自信も出て「たまにはオレも歌ってみようかな」と思うけれど、やっぱり、やめとこ。

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近代将棋1990年8月号、故・池崎和記さんの「福島村日記」より。

某月某日

 王位リーグ戦の福崎・阿部戦(白組最終戦)を見に行く。中原棋聖が青野八段に敗れたため、福崎・阿部戦が優勝決定戦になった。

 阿部さんの序盤構想には定評がある。はたして阿部さんの作戦勝ちのようだ。その将棋がだんだんおかしくなった。阿部さんの攻めを福崎さんがうまくしのいで、ついに形勢逆転。午後8時46分、阿部さん投了。

 感想戦が長かった。仕掛けのあたりを延々と3時間。結論が出たので私は神戸新聞の中平さん(観戦記担当)と一緒に部屋を出た。ところが、いつまでたっても両対局者が控え室に降りて来ない。おかしいなと思って対局室に戻ると感想戦の第2ラウンドが始まっていた。3時間の検討で得た結論が間違っていたらしい。「やっと正解が出た」という言葉を2人から聞いたのは、それから1時間後のこと。

 阿部さんは相当ショックを受けているようだった。「池崎さん、きょうは僕に付き合って下さいよ」と言う。私は、こういう誘いは百パーセント断らないことにしている(相手が親友の奥サンであっても)。梅田へ出た。福崎さんと村山さんも同行。連れて行かれたのはカラオケボックス。みんなで歌いまくった。福崎さんは美空ひばりと中島みゆき。村山さんは山下達郎、アリス、吉幾三、その他。阿部さんのは、どの曲も歌詞に横文字が入っていて、私の知らないものばかり。福崎さんも「知らんなァ」。

 だれかがRUNNERを歌った。「ハシル、ハシル、俺たち」というあのフレーズは、福島村では「ネバル、ネバル、あのショーギ。ただ投げないだけ」と歌うようになっているので、素直な私はそれに従った。そばに長手数派の棋士がいたら、きっと殺されていただろう。

 店の人に「閉店です」と言われ、時計を見ると午前5時。ボックスに入るとき、阿部さんは「朝が来るのがコワイです」と言っていたけれど、やってきた朝はさわやかで、ちっとも怖くなかった。福崎さん始発電車で家に帰り、残りの3人はマージャン屋へ直行。延々と打ち続け、家に帰ったら午後9時を回っていた。

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大阪でのカラオケ関連二題。

「井上五段昇級祝賀会・谷川名人激励会」の3次会のカラオケはきっと北新地のスナックで、王位リーグ戦のあとのカラオケは梅田のカラオケボックス。

通信カラオケが登場するのは1992年からのことなので、スナックは手差し方式、カラオケボックスはオートチェンジャー方式だったはずだ。

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谷川浩司名人(当時)の「歌わないと感想戦のとき一言もしゃべりませんからね」、汎用的には「◯◯しないと感想戦のとき一言もしゃべりませんからね」は、観戦記者に対する最大級の殺し文句と言えるだろう。

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福崎文吾八段(当時)の美空ひばりと中島みゆき。

後の記録によると、福崎八段はタイトル戦前後の2次会で、美空ひばりの「川の流れのように」、中島みゆきの「時代」を歌ったと書かれているので、この時もこの2曲が含まれていたと思われる。

「棋士と結婚したのではなく、好きな人がたまたま棋士だったのです」

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村山聖五段(当時)の山下達郎、アリス、吉幾三、その他。

村山聖九段は歌う曲のレパートリーがジャンル、古今を問わず広かったようだ。

将棋マガジン1990年1月号、神吉宏充五段(当時)の「何でも書きまっせ!!」より。

 さてその隣で対局中の坪内六段は、現在奨励会の幹事。つい先日も奨励会旅行があって、その時の写真を昼休みに見せてくれた。

 そこには……村山五段の写真があった。その写真を見て二つの疑問が浮かぶ。

 一つはあの写真嫌いの村山をよく撮れたという事と、歌をうたっているのを見たのが初めてで、思わず、「村山くんは何うとたんですか」と条件反射的に聞いていた。

「はは」坪内は自慢のヒゲを触りながら「確か、”ルビーの指輪”やったと思うけど、けっこう上手に歌ってたで」。

 私の取材目標が一つ増えた瞬間だった。

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「ネバル、ネバル、あのショーギ。ただ投げないだけ」の元になっている『Runner』は爆風スランプが1988年に発表したヒット曲。

「ハシル、ハシル、俺たち」がサビの部分で、そこに至るまではそれまでのことを思い出しながら心情を述べる歌詞が続く。

歌詞をよく見てみると、たしかに将棋、それも非勢な将棋を指している状況を替え歌にしやすいような感じがする。

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この曲の作詞は、サンプラザ中野さん。

サンプラザ中野さんは”サンプラザ中野くん”と改名したが、やはり思い出すのは中野サンプラザ。

中野サンプラザには(今もあるのかどうかはわからないが)将棋盤や碁盤が用意された娯楽ルームがあって、1990年代は1日500円で出入り自由だった。

このような環境だったので、奨励会員や若手棋士の研究会には絶好の場所だったようだ。

私も平成の初期に職場の将棋好きな先輩と一緒に行ったことが何度もあるが、将棋が本当に強そうな10代の少年が10人位指しているのを何度か見たことがある。(その後、その先輩は中野のスナックに盤駒を預けて、そちらで指すようになったので、私が娯楽ルームへ行くことはなくなった)

渡辺明二冠と瀬川晶司五段が、それぞれブログで中野サンプラザ娯楽ルームのことについて触れている。

記憶力。(渡辺明ブログ)

サンプラ(瀬川晶司のシャララ日記)