「勝つと赤字になるじゃけん」

近代将棋1999年12月号、内藤國雄九段の「新妙手探し」より。

「勝つと赤字になるじゃけん」―広島の松浦八段はこうぼやいた。連盟に泊まるのは無料だったが、対局前夜と当日の夜、二晩酒を飲むと対局料が飛んでしまうというのである。

 一度こういうことがあった。関西本部へ持ち込んだ一升ビンを空にして松浦さんは眠りにつこうとしたのだが、隣室のマージャンの音がどうにもうるさい。じっと辛抱していたが明日の対局のことを思うとついに我慢の緒が切れてしまった。襖をぱっと開けると、傍らにあった囲碁の五寸盤を片手で高々と持ち上げた。そんなものを投げつけられてはたまらない。たちまちマージャンはお開きになった。後に松浦さんの腕っぷしの強さが話題になったが、マージャンは相変わらず毎晩のごとく続けられた。

 持ち時間7時間が打ち出されたのは、松浦さんがぼやいた対局料の安さが底にあった。時間いっぱいまで戦えば、終わって感想戦をしているうちに夜が明けて電車が動き出す。タクシー代がかからないという読みである。私の順位戦入り第1局の相手は北村秀治郎さんだったが、終了午前3時40分。1番電車で家に帰ったことを覚えている。

 いつの頃からか対局料は大幅に改善されてタクシーを使っても赤字になるという心配はなくなった。

 しかし考えてみると、順位戦に関しては50年の間に1時間短縮されただけである。世の中のスピード化からみるとこれは異例といっていいだろう。昔は順位戦と他の棋戦との間に持ち時間の差はとくになかったのだが、次第に差がついてきた。

(以下略)

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近代将棋2001年1月号、池崎和記さんの「内藤國雄九段史上5人目の偉業達成!なにわ1000勝ロード」より。

 対局料の話が出たが、Cクラスが1局2,000円というのは昭和30年代のことと思われる。

 内藤が四段になったのは昭和33年で、升田幸三が最も強かった時代である。前年、升田は大山康晴から名人位を奪い、それまで保持していた王将、九段(タイトル)と合わせて史上初の三冠王になった。当時のタイトル戦はこの3つで、ほかに順位戦、王座争奪戦、早指し王位決定戦などの棋戦があった。

 昭和32年の、ある新聞のコラムにこんな記述がある。

 「将棋の場合、現役69棋士が、実力によってAからC2まで5クラスにランクされている。最高のAクラスの対局料は1局2万円~3万円(手取り)といわれている。B1はその7割。B2はB1の7割だから、B2の棋士の対局料はAクラスの半分、C2になると1局2、3,000円」

 「10年不敗を誇った木村十四世名人が、現役を退いてから、それまで吸っていたピースをやめ、しんせいにしたのも、王将位を譲った大山八段が、以後あまりタクシーに乗らなくなったといわれるのも、勝負の厳しさが強いる犠牲なのである」

 このコラムには升田三冠王(当時39歳)のコメントも載っている。

 升田いわく「棋士の寿命が尽きる晩年で、こんなにタイトルが取れたのですから、いつ取られても悔いはない。この上は妻子を養えるだけの力、八段の力を長く続けたい」

 超トップの升田や大山でも、決してリッチではなかったことがわかる。

 いつだったか、有吉九段から「A級八段になるまで世間並みの生活ができなかった」と聞いたことがある。内藤もその時代を一緒に生きた。

 「タイトル戦の賞金が30万とか50万の時代だからね。サラリーマンの少し上のクラスの人がボーナスでもらうような金額を、日本一のタイトル取ってもらうわけだから、それはやっぱり貧しかったですよ。いまとは物価が違うというけど、いまのほうが安いのもいっぱいある。テレビやネクタイ、ベルト、時計なんかそうでしょう」

(以下略)

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将棋世界最新号の「ぼくはこうして強くなった 青野照市九段の巻〔後編〕」には、青野九段が四段になった1974年当時、四段の対局料は7,200円と6,300円と5,400円の3本立てだったと書かれている(給料は12,000円)。今日の記事の1957年の対局料2,000円~3,000円に比べれば上がってはいるが、日本の高度成長期が続いていたにもかかわらず上昇率は少ない。これは、1960年から1975年までの間、日本将棋連盟と各新聞社との契約金がほとんど上がっていなかったことが大きな理由だったという。

当時の対局料が現在の金額に換算すればどれくらいになるのか計算してみた。

それぞれの年の消費支出(二人以上の世帯、月額)は次の通り。

1957年    25,608円
1974年 136,042円
2014年 291,194円

1957年のC級2組対局料3,000円は、現在の金額に換算すると、3,000円×(291,194円÷25,608円)で34,114円。

1974年のC級2組対局料7,200円は、現在の金額では7,200円×(291,194円÷136,042円)で15,411円。

1974年の棋戦数は1957年の頃に比べてかなり増えているということはあるにせよ、1957年も1974年も非常に厳しい対局料であったことがわかる。

対局料が大幅に改善されたのは、1976年に名人戦・順位戦の主催が毎日新聞に移って以降のこととなる。