将棋世界1983年1月号、乱発!激発!ホンネ座談会「野獣が最後に勝つ」より。出席者はシナリオライターの石堂淑朗さん、大内延介八段(当時)、河口俊彦五段(当時)。司会は野口益雄編集長(当時)。
野獣が最後に勝つ!
(本誌)将棋界の未来は明るいようですが、五年後、A級は何人代わっているでしょうね。
河口 そうですね。僕は同じメンバーだと思います。名人とA級、それに1組の上位、十数人はこのところ全く変わっていない。
大内 将棋界の五年後は長いようで短い。A級は二人ずつ落ちるから、五年たてば皆いなくなるともいえます。福崎君あたりはどうかな。彼は妖気があって、相当に行くと思うけど。女に狂わなきゃA級だね。
河口 塚田君は五年でA級に行けますか。数字の上での話ですが―。
(本誌)塚田名人もありえます。
大内 勝浦・森・石田のあとは青野・真部なんだけど、どうかな。本人はまだ福崎あたりとは格が違うと思っているかもしれないけれども、青野君などは今年が勝負だね。今年は大変だ。
石堂 僕の図体がデカイから言うんじゃないですけど、有望な若手は、みんな小さいというか細いというか、体力がないように思います。
河口 太っていればいいというものでもない(笑い)。大山さんも若い頃は細かったし、若手も中年になれば太るかもしれません。
大内 そうか、五年後ね。よくわからないな。自分でもどうなっているかわからない。でも頑張りますよ。これからは僕もやりますよ。内藤さんに刺激されましたしね。
(本誌)内藤さんは凄かったですね。
河口 歌をやめたから勝つというほど単純なものではなく、ちょうど波というかバイオリズムがよかったのかもしれない。
大内 でも、あの人は変わった。優しくなったと思いますね。やるんだという自己に向ける意志も強い。
(本誌)五年後、大山名人の引退があるかどうかですが、どうですか。
大内 五年たって大山さんがまだA級にいたら、皆死ぬしかないでしょう(笑い)。しかしなかなか負け越す人じゃないね。升田さんの強さは身近に感じるけど、大山さんの強さは遠くに感じる。振飛車でも全く質が違うから。あんなに行かない振飛車もないよ。
河口 僕も大山さんは、まだA級にいるような気がします。それにみんな、もうそんなに強くならないですよ。つまり何だかんだと言っても、今のA級は相当に強いということです。ところで石堂さん、物を考える棋士というのはどういうものでしょう。棋士だから考えてもたいしたことはないんですけど、インテリタイプというのは強いと思いますか。
石堂 将棋だけじゃなく、何の世界でもインテリはダメで、アニマル的な人が勝つようです。野獣的であることは、バイタリティですから。物書きでも学者でも、教養がジャマをしてダメになるのが沢山います。独断と偏見に満ちているのが強いですね。
大内 「野獣死すべし」というのはあったけど、でも野獣的な人は強い。将棋だって人間の勝負なのであって、同じ▲7六歩でも指す人によって違うものです。
石堂 脚本家でも、一冊も本を読まず、週刊誌だけ読んでいて、いい仕事をするのがいますよ。
河口 技術だけじゃない。体力でもない。やはり将棋は人間的なもの、つまり精神力の勝負だと僕も思いますね。
大内 大山さんなんか大野獣ですよ。升田さんも相当に野獣なんだけど、あれだけ技があっても大山さんには勝てなかった。ここに何かがあると思うね。僕なんか若い頃は大山さんの将棋など軽蔑していました。升田さんの将棋を尊敬し、大山さんなどは升田さんの棋譜の相手役でしかなかったわけですよ。大山さんの強さや偉さなど、全くわからなかった。わかったのは最近です。
河口 僕もそうだった。皆そうだったんじゃないですか。
(本誌)大山名人は大野獣ですか。すごい結論が出ましたな。どうも本日は有難うございました。
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1982年度の名人・A級はこの時点で、
加藤一二三名人
中原誠前名人
森安秀光八段
桐山清澄八段
米長邦雄棋王
大山康晴王将
内藤國雄王位
大内延介八段
二上達也九段
森雞二八段
谷川浩司八段
5年後の1987年度の名人・A級は
中原誠名人
米長邦雄九段
谷川浩司王位
桐山清澄九段
大山康晴十五世名人
森雞二九段
南芳一棋聖
加藤一二三九段
有吉道夫九段
内藤國雄九段
青野照市八段
3人が入れ替わっている。5年で延べ10人が降級して延べ10人が昇級しているわけなので、変動は少なかったと言える。
その後の5年毎を見てみると、
1987年→1992年 5人(昭和55年組のA級昇級)
1992年→1997年 6人(羽生世代第一弾A級昇級)
1997年→2002年 5人(羽生世代第二弾A級昇級)
2002年→2007年 3人
2007年→2012年 5人(羽生世代より少し若い世代のA級昇級)
(2012年→2015年 3人)
という動き。
順位戦的には、5年で3人は安定期、5人以上は変動期と言えるのかもしれない。
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この座談会は、1982年11月20日に原宿の「南国酒家」で行われている。
私が大学4年の卒業する間際、家庭教師をしていた家のご夫妻に夕食をご馳走していただいたのも「南国酒家」だった。
酢豚にパイナップルを入れることや、チャーハンにたらば蟹とレタスを入れて作ったのも「南国酒家」が最初だと言われているようだ。