近代将棋1990年11月号、谷川浩司王位(当時)の「復活への道」より。
5月10日 第3局翌日
帰宅後、名人戦の衛星放送ビデオを見る。
優勢な局面を築きながら、逆転負け。
「この局面、羽生君なら何分あれば勝てますか」と先崎四段。
「そうですね。20分」答える羽生竜王。
みんな言ってくれるじゃないの。
対局中はそれほど思わなかったのだが、改めて局面を見ると、よくもこんな良い将棋を負けたものである。
5月18日 第4局3日前
神戸での女流王位戦第3局を見に行く。
大熱戦の末、中井新王位誕生。
打ち上げの後、十人程でマンションへ。
鹿野さん、林葉さん、中井さんに、新築祝いを頂く。なかなか洒落ているけどこのダーツのボード、遊び方がよく判らない。
玄関の戸を開けた途端、林葉、中井の二人は、案内もしないのに勝手に部屋の戸を開けて走り回っている。この娘達は一体何なんだろう。
モノポリー、トランプ、バックギャモンなどで深夜まで遊ぶ。
5月29日 第5局2日前
第5局に備えて、研究。
この頃は、暇な時はマンションの方で棋譜を並べたり原稿を書いたり、というのがパターンになっている。
第4局は、作戦が見事に当たって勝利を収めることができた。今度も5六飛戦法で来られるのかが問題。
6月2日 第5局翌日
負けて帰る一人の新幹線の三時間ほど、長く感じられるものはない。
何のための研究だったのだろう。第3局より改悪になってしまった。
それにしても伊香保は鬼門である。二年前の時も惨敗だった。もう「新特急谷川号」には乗りたくない。
6月8日 第6局3日前
米長王将との天王戦、完敗だった。
5六飛戦法に対し、米長王将は自然に応接された。この手をとがめる事ができるほど、将棋は簡単なものではない、ということ。
対策を教えてもらったものの、後手番は果たしてあるのだろうか。
6月13日 第6局翌日
6時間かけて帰神。
二転三転の大熱戦だったが、惜敗。2勝4敗で名人位を失う。
負けたことは仕方がない。というより、この内容では当然と見るべきである。
ただ一つ、1図で何故考えていた手を指さなかったのか。
▲1四歩△5六歩▲同歩が読み筋だったのに、ふと気が変わって▲6七銀と引いてしまった。
自信のなさが出たと言われればそれまでだが、昼食休憩を挟んでしまったのが悔やまれる。
(つづく)
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”「この局面、羽生君なら何分あれば勝てますか」と先崎四段。”と書かれているが、将棋世界1990年7月号、先崎学四段(当時)の第48期名人戦第3局現地レポート「敗因が分からない」によると、「この局面から、君達が谷川名人の方を持って指したら、持ち時間が何分あったら勝てますか―?」と聞いたのは島朗前竜王。
谷川浩司王位(当時)がこの文章を書いたのが8月下旬以降のことなので、3ヵ月以上前にテレビで見たイメージが先崎学四段に変わってしまっていたのだろう。
たしかに、先崎四段が発しそうな挑発的な問いかけだ。
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「新特急谷川号」。
この2年前、谷川浩司王位(当時)は近代将棋1988年7月号の連載エッセイ「新幹線車中にて」で、次のように書いている。
さて、今期の名人戦でもある色々な事があった。まず、伊香保温泉「福一旅館」での第1局。
上野から渋川までの電車は、国鉄が民営化された一年前に新しくできた「新特急谷川7号」だった。
これは初めから縁起が良い、と喜んでいたのだが、この電車の名称といい、盛大な前夜祭といい、衛星放送の中継といい、私ははしゃぎ過ぎていたようである。
腰が浮ついていたところを、序盤からしっかりとがめられて完敗。
実はこの「新特急谷川7号」。上野から渋川まで約120kmで、途中10駅も停車するのである。全く新特急とは名前ばかりで、喜んではいられなかった。
2年前にこのようなことがあったわけなので、更に追い打ちがかかった格好だ。
この頃のJR東日本の新特急は、急行列車が格上げになったものなので、本来は準特急とでも呼ぶべき性質のものだったのだろう。
2年前も今回も対局相手は中原誠十六世名人。
もちろん、中原誠十六世名人は「新特急谷川」に乗るのは避けている。
十六世名人と後の十七世名人に忌み嫌われる形となった「新特急谷川」だった。