将棋世界1983年12月号、淡路仁茂八段(当時)の「棋士近況」より。
姫路の将棋まつりの帰り、新神戸で降りて三宮のスナックへ飲みに行った時の話です。メンバーはT名人、M棋聖、K五段、N四段、それに私の五人で、その時、点数の出るカラオケを見つけたM棋聖が「ここの支払いは歌を歌って一番点数の低い人に払ってもらおう」と提案。自信のある全員意義などありません。
しかし、このままではK五段が気の毒と思った心やさしい私は、K五段にハンディ15点を提案したのですが、冷静な全員の意見でハンディ10点でスタート。
まず最初に歌った私が68点。K五段が58点以上取るわけがないと思っている私は楽観ムード。しかし次に歌ったK五段が63点をクリアしてハンディと合わせて73点。その次がN四段。この人は実力者で軽く80点。次に、期待していたM棋聖が73点と私の敗局が決定的となったところで登場したのがT名人。歌も抜群で、その時歌った時もM棋聖が「N四段の80点を超えて最高点が出た」と言ったとたん、なんとコンピュータの採点は55点。
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T名人は谷川浩司名人、M棋聖は森安秀光棋聖、そして、様々な情報を総合すると、K五段は小阪昇五段、N四段は西川慶二四段。(タイトル・段位は当時)
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カラオケの機械採点は基本的には減点法で、音程が外れたり音量が足りないと次々と減点されるという。
この頃の時代の機械式採点がどれほど信頼性のあるものだったかは不明だが、「全ての勘定を持つ」という視点では、落ち着くべき所に落ち着いたと言えるだろう。