将棋世界1998年2月号、「新春ビッグ対談 羽生善治四冠&杉山愛 自分のためにがんばる!」より。文は田丸昇八段(当時)。
コンディション作りが重要
羽生 おひさしぶりです。たしか、杉山さんが将棋会館にじられて私の対局を観戦して以来ですね。
杉山 あのとき(96年11月)は、将棋の対局を初めて生で見たんですが、とても感動しました。羽生さんに”こんにちは”と言われたんで、おじゃましていいのかなァと思いました。
羽生 いや、挨拶は最初だけです。ところで、あの日は30分以上も対局を見ていましたね。そういう人は珍しいんですよ(笑)。
杉山 そうなんですか(笑)。私は緊張感のある居心地のよさに、もっと見てみたいとつい長くいてしまいました。羽生さんもたまに、テニスの試合を見に行かれるそうですね。
羽生 プロスポーツの試合の観戦は大好きで、趣味7割・仕事3割の感覚で見ています。勝負の流れを見るのが面白いんです。特にテニスは、ゲームの内容がかなり将棋に近いですね。トータルの獲得ゲーム数で負けても試合には勝てるという勝負のつき方や、先手後手のようにサーブとレシーブがあったり、交互に指したり打ったりと……。
杉山 そう。ゲーム数じゃないんですよね。ここというポイントを取れるかどうかが大事で、ちょっとしたところで流れやリズムが変わるんです。それから、私のテニスは組み立てを大事にしています。大きくて力のある外国人とちがって、ガーンというショットがないので、ワンショットずつを細かくつなげて戦います。
羽生 テニスは海外試合が多いから、いろいろと大変でしょうね。私も竜王戦で海外対局の経験が何回かありますが、飛行機の中で眠れなかったり時差ぼけをして苦労しました。
杉山 私は1年のうち半分近くは、ヨーロッパやアメリカなどの海外へ行っています。長い遠征だと2ヵ月も続きます。その期間は、日曜まで試合をして月曜から次のところへと、移動ばかりです。でも私は、飛行機の中で熟睡できるタイプなので、あまりこまりません。時差を直すには約3日かかるので、遠距離移動のときは試合の4日前には必ず着くようにしています。
羽生 1月になると全豪オープンが始まりますね。あそこはバカンスですごすにはいいけど……。
杉山 1月のオーストラリアは真夏で、コート上は50度以上の気温になります。湿度も高く、すごくつらいですね。
羽生 そうなるとコンディション作りも勝負のうちですね。それは棋士にもいえます。私の場合、肩こり、目の疲れ、腰痛が職業病なんです(笑)。オフは水泳をやって身体をほぐしています。
杉山 食生活も大事ですね。衛生状態の悪いアジアでは、食べ物でおなかをこわすこともあります。私は海外で中華料理をよく食べます。中華はあまり当たり外れがないんです(笑)。
羽生 そうですね。棋士も食欲が進まない状態では、対局で勝てません。
海外遠征で盤駒を持参
羽生 杉山さんは将棋を指されるそうですね。
杉山 指すなんて、とても言えません(笑)。たまに遊ぶだけです。将棋は小学生のころに父から習いました。同年の吉田友佳さん(テニスプロ)と一緒に海外遠征したときは、飛行機の中でマグネット盤で指しました。彼女も将棋ができるんです。
羽生 私は将棋の駒の中で銀が一番好きですが、杉山さんは何ですか。
杉山 飛車ですね。たてよこに自由に動きまわれるのが好きです。
羽生 そういえば、富岡さん(英作七段)に将棋をいちど習ったそうですが、いかがでしたか(注・本誌94年2月号『棋士交遊アルバム』で杉山さんが富岡七段と対談したとき、将棋のレッスンも受けた)。
杉山 びっくりしましたね。プロの方は次から次と動きがわかるんですね。私は今でも遠征のときはポケット将棋を持っていき、コーチ(丸山淳一テニスプロ)に指してもらっています。ところで羽生さんはテニスをされたことはありますか。
羽生 実は、八王子の実家近くのコートで、いちどだけテニスをやったことがあるんです。もちろん、ぜんぜんへたです(笑)。男子のテニス選手では、イワニセビッチのプレイが好きです。あの高速サーブは、対戦したらいやでしょうね。将棋界にも似たような人がいますが、その棋士の名前は言えません(笑)。
杉山 羽生さんの対局を前にテレビで見ましたが、その相手の人かしら……(笑)。ところで、将棋が終わると勝者と敗者で感想戦をやりますね。あの光景が面白いですね。テニスでは考えられません。負けると相手とは握手をしたくないし、中にはラケットを放り投げる人もいます。
羽生 私は伊達公子さんと同い年で、誕生日も1日ちがいなんです。だから注目していましたが、伊達さんがテニス選手を引退した今、杉山さんに日本中の期待がかかってきたんじゃないですか。
杉山 たしかにそうです。97年はジャパンオープンで優勝したり、ゴールドコーストの大会で準優勝と、前半は好調でした。でもその後、いい結果がなかなか出ないんです。伊達さんの引退の後、知らず知らずプレッシャーを受けているのかもしれません。そこで私は考えました。余計なことは考えず、自分のためにがんばるのだと……!それから、勝つのが一番の自信になりますね。
羽生 同じ勝負師として、杉山さんの気持ちはよくわかります。ぜひ、自分のためにがんばってください。
杉山 羽生さんは私の試合を生で見たことがないそうですが、こんどご招待しますから、ぜひ見にきてください。
羽生 ありがとうございます。日本での試合を楽しみにしています。
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「あの日は30分以上も対局を見ていましたね。そういう人は珍しいんですよ」が、微妙に可笑しい。
羽生善治四冠が「将棋界にも似たような人がいますが、その棋士の名前は言えません(笑)」と言ったのは、谷川浩司竜王・名人(当時)のこと。
1996年に竜王位を、1997年に名人位を、谷川竜王・名人は羽生四冠から奪っている。
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杉山愛さんは、日本人選手初のWTAダブルス世界ランキング1位獲得、日本人最多のグランドスラム優勝4回、グランドスラムシングルス連続出場のギネス記録など、2009年の引退までに書ききれないほどの実績を残している。
また、2012年に杉山愛さんは、毎日新聞紙上で森内俊之名人(当時)と対談をしている。
→森内俊之名人の就位式と元プロテニス選手の杉山愛さんとの対談記事(田丸昇 九段 の と金 横歩き)
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私は中学時代、2年生の時まで軟式テニス部に入部していた。
中学校自体が火葬場の斜向かいにあったということもあるが、テニスコートは火葬場の隣にある東北大学の附属研究所のテニスコートを借りてた。
そのようなこともあり、旧式火葬場から出る煙の直撃を受けることが多かったが、慣れてしまうと全く気にならなかった。
中学3年の秋に、火葬場は移転して、建物は取り壊されることになったが、それはそれで、少し寂しい感じがした。
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火葬場が移転するのとほぼ同じ時期に、中学校の校庭でプールの建設が始まった。火葬場からの灰がプールに溜まるからという理由で、開校以来、プールが作られていなかったとも考えられる。
泳げない私にとって、学校にプールがないということは非常に有難かったわけで、そういう意味でも火葬場には感謝しなければならないだろう。