佐藤康光名人(当時)「羽生さんこそが最高の激辛でしょう」

近代将棋2000年4月号、武者野勝巳六段(当時)の第49期王将戦〔羽生善治王将-佐藤康光名人〕第4局観戦記「羽生、五連覇達成」より。

 プロ棋士仲間から「激辛」と呼ばれている指法がある。「勝負にとても辛い」指し方のことで、特に勝負術に秀でた藤井竜王、丸山八段、森内八段を「激辛三人衆」などと呼んでいるわけだが、ここに話題が及んだとき佐藤名人は、ぼそっと「羽生さんこそが最高の激辛でしょう」ともらした。

 これまでの王将戦七番勝負、それぞれの局において佐藤はわずかながら局面をリードして戦い続けたのだが、終わってみると羽生の3連勝。こういう結果が出てみると、途中のリードなど何の役にも立たないことを痛いほど感じているはずで、だからこそ佐藤がもらした羽生への印象は万感の思いが詰まっており、第4局に向かう佐藤の心情をこれ以上なく能弁に語っている。

 この話を聞いたとき、私は「盤の向こうには座れなくとも、せめて羽生・佐藤と同じ空気を吸い、一緒に濃密なときを過ごしたいものだな」との衝動に駆られ、手帳の2月7日、8日の欄に「王将戦第四局、於仙台市秋保温泉」と書き入れていた。

 本誌の観戦記を担当することになったので、『佐藤の心情』の一端をあえて記すことにする。

 王将戦は三番リードされた方が半香(香落ちと平手を交互)に指し込まれるという、指し込み制を売り物に発足した棋戦である。これが陣屋事件の遠因とされ、升田が「名人に香を引いて勝った男」になり、羽生が谷川との激闘の末全冠達成するなど、数々の逸話の舞台となったのがこの王将戦だ。

 番勝負を戦う者にとってあまりにも過酷なために、指し込み局については「当分の間行わない」との取り決めがなされたが、名目的には『指し込み制』は残っている。「名人が王将に指し込まれた」ことには違いないのである。

 この3連敗を加え、佐藤は公式戦で羽生に9連敗中なのだ。いま、棋譜データベースにてこの9局を並べ直してみたが、一方的なスコアになるのが不思議なほどの接戦続き……しかし、結果が伴ってこないのだ。この七番勝負の直後に佐藤は名人の防衛戦を控えている。当面する羽生には挑戦の目はないが、王将戦で一方的に敗れたとあっては挑戦者を勢いづかせる心配もある。

 とまあ近視眼的な事情を列記したが、佐藤にとって本当につらいのは「自分は羽生に勝てない」「自分よりも強い奴がいる」ことを認めざるを得なくなることだろう。

 そんなことを考えながら対局1日目の午後秋保温泉岩沼屋に着くと、局面は角換わり腰掛け銀になっていた。この戦法は羽生がここ一番に用いる得意戦法で、手元にある資料だけでも15勝4敗、8割近い勝率をあげており、加えて佐藤に一局も負けていない絶好の舞台なのだ。

 三番リードしても息を抜くことのない羽生は恐ろしい男だが、それを避けずに飛び込んでいった佐藤の心意気が痛いほど分かる。自分にとって崖っぷちの一局、相手の絶好な舞台で戦ってこそ、佐藤康光の将棋が取り戻せるのだ。

(以下略)

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名人と王将がタイトル戦で戦った時の戦績を調べてみた。

2015年棋王戦 ●羽生善治名人-渡辺明王将◯ (0-3)
2008年名人戦 ●森内俊之名人-羽生善治王将◯ (2-4)
2005年名人戦 ◯森内俊之名人-羽生善治王将● (4-3)
2000年王将戦 ●佐藤康光名人-羽生善治王将◯ (0-4)
1999年棋王戦 ●佐藤康光名人-羽生善治王将◯ (0-3)
1998年王位戦 ●佐藤康光名人-羽生善治王将◯ (2-4)
1996年王将戦 ◯羽生善治名人-谷川浩司王将● (4-0)
1995年王将戦 ●羽生善治名人-谷川浩司王将◯ (3-4)
1987年王将戦 ●中原誠名人-中村修王将◯ (2-4)
1982年王将戦 ●中原誠名人-大山康晴王将◯ (3-4)
1981年王位戦 ◯中原誠名人-大山康晴王将● (4-3)
1973年王将戦 ◯中原誠名人-大山康晴王将● (4-0)
1972年十段戦 ◯中原誠名人-大山康晴王将● (4-1)
1964年王将戦 ◯大山康晴名人-二上達也王将● (3-0)
1958年九段戦 ●升田幸三名人-大山康晴王将◯ (2-4)
1957年名人戦 ●大山康晴名人-升田幸三王将◯ (2-4)
1957年王将戦 ●大山康晴名人-升田幸三王将◯ (2-4)

タイトル獲得・防衛ベースでは王将の10勝6敗 勝敗数では王将の45勝39敗。

同じ棋士が、名人と王将の双方に名前が出てくるので、勝敗数を計算しても単なる数字遊びということになるが、「名人を保持していない時の羽生善治王将」が名人に対して分が良かった、という結論になるのだろう。